はっとり浩之オフィシャルブログ

2013年2月25日

私は月へは行かないだろう

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:12 AM

タイトルは小室等。今日、なにげなくアヴァンザのジュンク堂(本屋)に行ったら、丸川トモヒロの「成恵の世界」の新刊が発売されていた。しかも、帯を見ると最終巻。「おぉ」と思って購入。

この最終巻が13巻なのだが、とても13巻だとは思えない。あまりにも時が流れすぎたからだ。僕が、成恵の世界の一巻を読んだのって、たぶん中学生か高校生の頃だ。かれこれ、10年以上が過ぎ去っているのではないだろうか?それだけの時をかけて、やっと13巻。驚かざるを得ない。

実は僕は、リアルタイムで漫画を最終巻まで買いそろえることがほとんど無い。最初の数巻は読んでも、途中で飽きてしまう。今まで、最終巻まで買いそろえた長編漫画といえば、手塚治虫の「火の鳥」「ブラックジャック」
、バロン吉本の「昭和柔任伝」、つのだじろうの「空手バカ一代」、伊賀和洋の「男弐」「涙弾」、ぐらいで、これらは全然リアルタイムではない。とっくに完結していたのを買い揃えただけだ。つげ義春に関して言えば、(貸し本時代の作品を除いて)著作のほぼすべてを買い揃えているが、そもそもこの人は長編を、まったく描いていない。

ということは、もしかして、この「成恵の世界」が、僕が生まれて初めて、『壱巻から最終巻までリアルタイムで買った』作品になるのかもしれない。まさか30歳になって、こんな初体験をすることになろうとは。

多分、この作品の、異常に遅い発刊ペースがよかったのだと思う。中学生化高校生のころ、偶然、発売されたばかりの壱巻を購入して、「おぉ、こんなふぅな、サブカルチャーっぽい青春SF漫画があるのか」と面白いなぁと思った。僕の性格的に、普通ならそれで終わるのだが、この作品の場合、なぜか発刊ペースが遅いので、忘れたころに、偶然本屋で最新刊を発見する。僕みたいに、「次に何が発売されるか」を一切チェックしない人間にとって、偶発的に新刊に巡り合いやすい作品だった。多くの、発刊ペースの速い作品が、いつの間にか完結していて、読む気が失せてしまうのに対して、この作品は、奇跡的にも、「ふと本屋に立ち寄った時に新館に巡り合える」作品だったのだ。

そんなわけで、偶然に偶然が重なって、この作品が、僕が生まれて初めて、リアルタイムで最終巻まで読む作品になった。こんなこと、自分では予想もしていなかった。ひどく不思議な気分だ。あんまりにも間があいているから、ストーリー展開すらほとんど覚えていないのだけれど。

でも、折り返しの部分の、作者の一言に、深く共感する。「俺が、この漫画を描き始めたころ、セカイ系も萌えもなかったぜ。もちろん、そんなものを意識したわけでもねぇ」。
そうだよ、そうなんだよな、と思う。
俺たちは、俺は、中学生や高校生のころ、そんな名称のない世界に生きていたんだ。
誰かが後から、ソシュールの言語学のように、そんな分類を始めやがったんだ。
世界は、名づけられてわかりやすくなっていく。
でも、カテゴライズが殺してしまう微妙な素敵なものが、本当は、この世界にはあるはずなんだ。

PS 登場するヒロインたちの中では、ロボット少女の鈴ちゃんがダントツで好きやってんけど、「そういえば、マルチよりも古いのか?」と思って、いつから連載始まったか調べてみたら、13年前みたい。俺が高校生のころか。同じぐらいの時期やねんな。なんか、中学生のころから読んでた様な気分になってたわ。記憶って、恐ろしいなぁ。

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