はっとり浩之オフィシャルブログ

2013年1月17日

泰安洋航(ぼん・ぼやーじゅ)

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 2:15 AM

個人的に今年は細野晴臣な気分なので、新年一発目のタイトルは泰安洋航。

あけおめ、ことよろ。(日本語は略さずきっちりと使おう。でも、略されることによって新しい文化も生まれる)

先日は成人式。
僕は、20歳前後のころに対する悔やみとも何ともつかない激しい忸怩たる思いがある。
なので、ついつい、いらん一言を発言。
「20歳が過ぎてからが、人生の勝負だぜ! 闘えよなっ!!」
俺が闘わなかったからだ。
いいや、正確には、闘っていた。
自分自身の内面、形の見えない獣のような憤りや怒り、湧き出てくるいらいらと一日中闘っていた。
20歳前後のころは、自分の中からとめどなく湧き出てくるいらいらや焦燥感を抑えるので必死だった。
でも、そんなものといくら闘っても、どこにも行けない。
もっと具体的に自分自身を設計して、社会のルールの中で、どのような鍛錬を積めば、自分が望む自分の社会的立場を得ることができるかをしっかりと見据えて、鍛錬しなくては、何物にも成れない。
20歳のころは、そんなことすらわからず、自分の内面と向き合ってばかりいた。
馬鹿みたいに酒を飲み、どなりちらし、喧嘩をし、反体制的な音楽を聴き、ふらふらと短い旅を繰り返し、アングラ映画ばかり見ていた。
そういうことをしていたら、勝手に自分が素晴らしいものになれると思っていた。
でも、それは勘違いだ。
というか、逃げだ。
酒を飲むだけでは意味がない。
それを生かしたいなら、バーでバイトするなり、ソムリエになる修行をするなり、酒蔵に弟子入りをするなりしないと、その道には入れない。
喧嘩をするぐらいなら、ジムにでも通って試合に出ればいい。
反体制的な音楽を聴くだけじゃ自己満足だ。実際にバンドをやるなり、フォークギターを抱えて旅がらすをするなりしたほうがいい。
アングラ映画を見るだけじゃ現実逃避であって、自分で撮ってみなくちゃならない。
偏っているかもしれないが、僕はそう思う。
なぜなら、そうしておかないと、あとで後悔すると思うからだ。
僕には、激しい後悔がある。
「どれだけ青春を無為に過ごしてしまったんだ」
という後悔がある。
そして、そうした後悔を乗り越えて飛ぶことは、年をとればとるほど難しくなるのだ。
僕の場合、一応サークルで自主製作映画を二本撮ったし、途中で学校を飛び出して家出同然で埼玉に行って、プロのライターになったりもした。
でも、所詮は、甘えがあった。
それだけに没頭ができなかった。
すべてを賭すというほどのものではなかった。
そのことが、ひどく悲しくて、「あの頃の自分を叱ってやりたい」と、何度も何度も夢に見る。
「なぜ、あのころ、もっと具体的に戦わなかったのだ」と思う。
いくらでも時間のあった、若い日は、絶対にもう、取り返せないのだ。

……と、青臭いことを成人式に行ったら、ぐだぐだ考えてしまい、ついつい、紹介されて一言の時に、「20歳が過ぎてからが、人生の勝負だぜ! 闘えよなっ!!」と口走ってしまったのだ。
でもその言葉は本当は、20歳の若者に向けた以上に、ふがいない自分自身への叱咤にすぎないのだ。

きっと、先日まで、「日常生活の冒険」という小説を読んでいたのがいけないのだろう。
この小説の主人公の一人、犀吉くんは、いろんなことに中途半端にトライして、就職もせずに演劇に夢中になって、そして25歳になって「自分は何物にも成れない」と悲しんで、揚句自殺するのだ。
あぁ、さびしいなぁ、こういうやつ、いるよなぁ、と俺は思ったのだ。

20歳のみんなは、ちゃんと将来のビジョンを持って、あとで後悔しないように生きてほしい!
頼むよ!

最近(というか、ちょっと前から)、フランソワ・ハーディーというフランスの60年代に活躍した女性歌手にすっげーハマってる。
「私小説」というアルバムがあって、これが非常に美しいアルバムだ。
リッキー・ネルソンの「淋しい街」をフランス語でカヴァーしてるんだけど、すごく胸を打つ。

去年の話だけど、京都の都雅都雅で、小坂忠のライブを見た。
なんと、ギターで鈴木茂も参加。
前半は懐かしの洋楽のカヴァーで、後半がオリジナルだった。
スペンサー・ディビス・バンド(スティーブ・ウィンウッドがいた60年代のイギリスのロックバンド。ギミー・サム・ラヴィンとキープ・オン・ランニンが有名かな)の曲なんかもやったりして、「面白いねぇ」と思った。
後半は、「ありがとう」がすごく良かった。
「ありがとう」は、小坂忠のソロ・デビュー作のタイトル曲で、実質上は細野晴臣の作品だったと思う。
はっぴぃえんどの「風街ろまん」に収録するつもりがオミットされたので、小坂が歌ったんだったと思う。
毎日毎日、心にもないありがとうばっかり言っているうちにすっかり疲れてしまったという皮肉たっぷりの歌。
まぁ、僕は、毎日ありがとうと言ってるうちに本当に謙虚な心も生まれてくるんじゃないかなぁと、個人的には思うんだけどね、でも、歌で聞く分には、この手のペーソスはとても気持ちいい。
あと。鈴木茂も、はっぴぃえんど時代の自作曲を歌ってくれた。
声が変わってなくてびっくりした。
ちなみに、都雅都雅は、火除天神さんの横というか、地下。
後利益ありそう!

レイモンド・チャンドラーの「リトル・シスター」を読了。
以前は「かわいい女」というタイトルだったが、村上春樹訳になってから、英文そのままのタイトルに変わった(ちなみに、以前の清水訳でチャンドラー作品は大方読んでいたので、春樹訳は今回初体験である)。
というか、いつも通りのフィリップ・マーロウがぐだぐだする小説なので、そもそもこの原題があんまりふさわしくないと思う。
確かに、事件を持ち込んできたのは3人兄妹の末娘だけど、実際には兄妹全体が事件に深くかかわっているし、ハリウッドの暗部を描くという側面のほうが作品のテーマとしては強い。
それこそ、スティーリー・ダンの歌のタイトルじゃないが「ウェスト・オブ・ハリウッド」のようなタイトルのほうがしっくりくるんじゃないのか。
と俺が言っても、どうにもならないですね。

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