はっとり浩之オフィシャルブログ

2012年5月30日

死にまくり、狂い咲き。

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 11:56 AM

このところ、昔好きだった人がバンバン死んでますね。

ビー・ジーズのロビン・ギブ。

僕が高校を卒業したころにモーリスが死にましたが、ロビンもとうとう死にましたね。

あとはバリーさんだけか。

友達が電話をかけてきて「バリーの方が先に死ぬと思っていたんだけどな」とのこと。

「なんで?」

「だってさぁ、ヴォーカルの人の方が体酷使してて先に死にそうじゃん」

そうとは限らないみたいです(ちなみにロビンもヴォーカルですが)。

ドナルド・ダック・ダンも死にましたね。

一時期、僕の頭の中では、一日中「ブッカー・TとMG’S」という彼のいたバンドの名前が巡り巡っていたころがありました。

ドナルド・ダック・ダンは先日、東京で死んだそうですね。

日本に演奏旅行に来ていたのです。

ザ・バンドのメンバーだったレヴォン・ヘルムまで死んじゃいましたね。

ガンを克服したと聞いていたのですが。

ザ・バンドは、最初の二枚のアルバムには心底衝撃を受けました。

泥臭いルーツ音楽のようなのに、聖歌のように神聖な雰囲気すら感じられたのですね。

ちなみに、日本の関西のフォークバンドのザ・ディラン・セカンドが1970年代初頭にヒットさせた「男らしいってわかるかい」は、ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリースド(われ解放さるべし)」のカヴァーです。

ザ・ディラン・セカンドは、洋楽しか聞かなかった僕に、日本語ロックの素晴らしさを教えてくれたバンドです。

学生時代、僕は、恵美須町の古ぼけた音楽喫茶「バロック」に通い詰めていました。

昭和的な薄暗い雰囲気と、真空管アンプや白黒テレビに心惹かれて暇さえあればここでコーヒーを飲んでいました。

実はこの喫茶店では、40年ほど前に、ザ・ディラン・セカンドのメンバーが働いていたのです。

ザ・ディラン・セカンドは、難波周辺の喫茶店の店員たちで組んだバンドだったのです。

それで、ある日、店長が「お前、洋楽ばっか聞いてないで、日本のフォークも聴いてみろ。ほら、このバンド、うちで働いてたやつが参加してたんだ」と、ザ・ディラン・セカンドを教えてくれたのでした。

ザ・ディランセカンドのデビュー作「昨日の思い出に別れを告げるんだもの」は、ほろ苦い名盤です。

「サーカスにはピエロが」という曲が一番有名ですが、「男らしいってわかるかい」に、僕は強い感銘と影響を受けました。

この歌を聴いて、人生に対する考え方をゆるやかに組み替えられたといっても良い。

こんな一節が、僕の考え方を変えたのです。

『男らしいって わかるかい

 ピエロや 臆病者のことさ

 俺には聞こえるんだ 彼らの

 おびえたような 叫び声が』

そうか、格好いい人が正義ではないんだ。

まっすぐに正義を唱えている人だけが正義ではないんだ。

世の中には、声にならない叫びがある。

屈折した、悲しみがあるのだ。

また、こんな一節も、深く胸を打ちました。

『奴らは 楽な方を取るのさ

 誰とでも 手をつなぎながらね

 でも俺は 断じて俺の 考え通りに動くんだ』

そうだ、世の中、汚い奴らはいっぱいいる。

大手企業、経団連、(地域政党も含めて)各種政党。

そういうやつらは、口先と中身は違うんだ。

俺は個人主義でいきたい。

そう思ったんだ。

でも、本当の個人主義というのは、苦しいものだ。

それは、厳しい自己批判の連続であるべきだから、なんらかの「実現性」は薄れていく。

民主主義化においては、多数を取らなければ、実現はできないからだ。

それでも、個人を貫いて、何も実現しないでいるべきかどうか。

この問題を、真心ブラザーズの「マイ・バック・ページ」という歌が教えてくれた。

『英雄気取りで 多数派の弱さを 攻撃もしてきたけれど』

この言葉も、俺の心を打った。

そうだ、英雄気取りで、多数派の弱さを攻撃するのは、楽な行動だ。

かつての左翼運動が、正にそうだったじゃないか。

だが、多数派の弱さを攻撃した後、自分はどうするのか?

何かを実現するなら、自分が新しい多数派になればいいのか?

それでは、かつて自分が批判した連中と同じじゃないか。

この問題を、岡林信康が「見る目に跳べ」のインタビューで教えてくれた。

『俺が 他人を口汚くののしるのをやめたのには 理由がある

 他人を口汚くののしるのは 一番楽な行為だからだ

 反体制を気取るのは 実は一番堕落しているからだ

 そのことにやっとわかった

 ヒットラーもスターリンも最初は反体制だった

 それが、権力を手にしたら、手放さなくなった

 反体制というのは「足りないからよこせ」という運動に過ぎないんじゃないのか

 そういうことをやっている連中が上になったら、他人に何かを与えるわけがない』

というようなことを語っていた。

俺は、なるほどな、と思った。

そういう、日本のいろんな言葉を、喫茶「バロック」が俺に教えてくれた。

そんなバロックも、少し前に閉店してしまった。

人は死ぬが、場所も死ぬ。

そういうのを、ヴァルター・ベンヤミンは「アウラの消失」と定義した。

音楽喫茶「バロック」の跡地は、つまらないゲームセンターになってしまった。

俺は、その前を通るごとに、死んだ「バロック」の記憶の残滓を拾い集めて感じ取ろうとしているのだ。

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