はっとり浩之オフィシャルブログ

2012年5月14日

流れ者のララバイ(守口だんじり祭りとわんぱく大会)

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:53 AM

母校の守口小学校で行われた「第27回わんぱく大会」と、「守口だんじり祭り」に参加させていただきました。

まず、朝6時半から八雲の南十番の一員として地車を曳かせていただき、途中で抜けて背広に着替えて守口小学校の「第27回わんぱく大会」を観戦させていただきました。

地車を曳いてからいったん家に帰って背広に着替えていたため、「第27回わんぱく大会」の方は始まる時間ぎりぎりになってしまって、僕が観戦席にたどり着いた時点ですでに4人の議員さんがいらっしゃっていたのですが、僕の母校の守小で行われる運動会だったから気を使ってくださったのか、ちゃんと前の席を空けてくれていました(そして4人とも、「前に座っていいよ」とおっしゃってくださいました)。

全員僕より年上の議員さんばかりでしたので、「いえ、ここは僕が後ろに」と言うべきか相当迷ったのですが、もう運動会が始まりそうだったので、そのまままえにすわらせていただきました。

お気遣い、ありがとうございました!

そのあと、お昼からまた地車に戻る約束だったので、「たしか駅前で、昼ごはんの後でパフォーマンスをやるんだったよな。よっしゃ、昼飯を食ってから行こう!」と思って、家の裏のスーパーで弁当を物色していたら、地車保存会の方から電話。

「なにやってんだ! もう議員さんのあいさつ始まってるぞ!」

「え!?」

すっかり勘違いしていたのですが、実はお昼ご飯の前にあいさつがあったのです。

僕はこれを、お昼ご飯を食べた後(つまり一時ごろ)にあるものと勘違いしていたのです。

うひゃ、やべぇってことで、大慌てで駅前に。

一人だけ少し遅れてあいさつすることになってしまいました。

遅れてしまったのに、あいさつをさせていただけたご厚意、本当にありがとうございます。

今後、重々気を付けます……。

そのあと、地車をもとの場所まで曳くのは、午後3時ごろからなので、いったん離脱して、個人的な調べものをしていました。

そして、午後3時ごろにはっぴに着替えてもう一度駅前へ。

汗だくになって南十番まで地車を返しました。

僕は、今回は地車の後方左側に位置していたのですが、去年、後方の真ん中に位置していた時よりは多少楽だったような気がします。

気候が多少涼しかったのか、それとも、曳く位置の問題なのか。

肩を入れる(地車を肩や背中で担ぐような体勢)機会が少なくて済んだのかもしれません。

ちなみに、駅前から南十番まで曳いて帰る途中、6人の知り合いの方を見かけたのですが、僕の存在に気が付いてくれたのは2人だけでした。

基本的にみなさん、地車の上部を眺めている人が多いわけで、後ろで曳く役は見た目には地味な場合があり、視界に入りにくいのかもしれません。

「前に行くべきだよ」とあとで知り合いの方に言われたのですが、僕は個人的には、後ろで黙々と曳いてるのが好きです。

それにそもそも、長年やってる人を差し置いて、去年から参加させてもらってるちんぴらの俺が目立つ場所に行くのはおかしいだろと俺は思うんですよね。

去年、「進行中に少しだんじりの上に乗せてもらうかい?」と言ってもらえたことがあって、そのように言っていただけたのは本当にありがたかったのですが、僕は「うれしいけど、やっぱり、それは長い年月、地車保存会に貢献している人以外がやっちゃダメだよなぁ」と想い、お断りしたということもありました。

ことさらに、地車はやっぱり、神聖なものですからね。

俺みたいな議員というだけの若造がちょっと手伝っただけで乗せてもらえるものではないと思うのです。

俺は個人的に、分相応以上の物事をあれこれと欲しがることはダメだ、と、できるだけ自分に言い聞かせているんです(欲しがりやすい性質ですから)。

俺は、昔、ライターをやってた頃、有名なライターさんが退社した後の後釜だったこともあってちやほやされて、すっごくいい気になってた時期があったんですよね。

でも、結局あんまり会社に貢献できなかったんです。

結局、自分の能力なんて、辞めた先輩ライターの足元にも及ばなかったんです。

そのことに気が付くまで、当時は随分と時間がかかってしまった。

あの頃の僕がもてはやされてたのは、「今後の成長見込み」だったわけで、「いまの自分の現有能力」を信頼されているわけじゃなかった。

そのことに気が付かず、「有名制作会社のライターだ。俺はすごいんだ」と思い込んでしまった。

そういう慢心に輪をかけて、「徹夜や土日出勤も多いのに月15万の安月給(しかも、給料支払いの遅滞はザラ)」「社員寮は数人で一部屋」とかそういう「待遇に対する不当感」があって、生意気ばっかり言っていたんだよ。

あのころ俺は、文句ばっかり言ってないで、黙っていいシナリオが書けるように努力や勉強をし続ければよかったんじゃないのか。

いまの俺には、そういう後悔心が、とても深く残っているんだよね。

だから俺は、自分のレベルってものを、いつも気にするようになったんだ。

孫子の兵法に「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」って有名な言葉があるんだけど、「自分のレベル」を把握することって、すごく大切だと思うようになったんだ。

俺は、いつも、自分は、自分の中の想像の自分よりももっとクズ野郎なんだ、と思うようにしている。

でないと、人間の持っている「自分かわいい病」や「自己憐憫の情」の餌食になってしまうからだ。

かたずけを手伝わせていただていたら、6時過ぎになったので、そこで抜けさせてもらって、夕方7時からは、行政に詳しい人に、数年前の守口市の行政の状況のこととか、排水溝のこととか、いくつか教えてもらったり、ちょっと勉強していました。

ピース。

守口市議会議員 服部浩之

2件のコメント

  1. 服部先生、こんにちは。

    月15万の安月給・・・これは、感覚が違うと突っ込まれるかもしれませんよ。

    時給850円で8時間週5日で月13万6千円。 まあまあ貰ってる方じゃないでしょうか?

    服部先生のブログ、近い感じで楽しく拝見させていただいてます。

    頑張って下さいね。

    コメント by 守口門真JC OB — 2012年5月29日 @ 11:39 AM

  2. こんにちわ!

    書き方が下手でしたね。

    月15万程度は大卒の初任給ぐらいなので、別に安月給じゃないですよ。
    一般的な意味での安月給という意味ではないです。
    そもそも当時の僕は高卒でしたので、もっと安くてもおかしくありません。

    そうではなく、制作会社なので、締め切り前ごとに会社に1~2週間ぐらい泊まり込みで作業というのがザラです。
    だいたい午前1時ぐらいまで仕事して、机の前で寝袋で寝て、朝6時ぐらいに起きて会社でシャワー浴びてからそのまま仕事。

    そういう不規則な就業形式に対して、残業代が一切つかないで15万円というのは労働時間の長さに対して安い。
    残業代を多少つけるか、泊まり込みで17時間労働とかにならないように進行をちゃんとしてくれ、という不満を当時は持っていたのです。

    本文中にもあるように、あくまでも「当時は」です。
    いまは、「そんなことで文句をたてずにしがみついときゃ良かったものを」と思っています。

    本文に書いているように、プラスアルファとして、制作が完了して会社にお金が入ってくるまで給料が一か月二か月振り込まれないのもザラでした。
    社員寮は交代で廊下で寝なきゃならないし、ガスが入っていない。
    そういうのをひっくるめて「これで15万じゃやってられんぜ」と思っていたわけです。

    あとは「ライターってのは作家先生なんだ。クリエーターなんだ。偉いんだ。普通のサラリーマンよりも高い給料をもらって当然のはずだ」とも当時は思っていたんですね。
    これはとんでもないのぼせ上がりです。
    ご存知だと思いますが、ライターなんて、売れてる一握り以外は相当貧乏です。
    僕の先輩だったMさんが売れっ子だったので僕は勘違いしていたのです。
    そもそも、「給料なんてあってもなくてもいい。クリエイトすることが大事なんだ!」というぐらいでなきゃならんかったわけですが、そういうハングリーさがなかったんですね(まぁ世の中、守銭奴でもいい仕事をするライターはたくさんいるので、お金に執着がない人のみが優れた芸術家であると断言はしませんが)。

    ちなみに、僕の勤めていた会社は、大手ではない制作会社としてはマトモなほうでした。
    あとから他社の人に聞いたのですが、作品が発売されるまで一年ぐらい給料なしとかいう会社もあるみたいですし。
    作品が完成できず、スポンサーも降りて、そのまま一円も支払われず解散っていう会社もあるみたいですし。

    コメント by hattori — 2012年5月29日 @ 11:41 PM

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