守口市議会議員、服部浩之です。
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先日、岡林信康のことを書いたのがきっかけで、急に歌いたくなって、仕事が一通り終わった後、深夜に一人でジャンカラに行ってきました(さびしい)。
で、「くそくらえ節」を歌ったんだけど、なんと、カラオケ版ではほとんどの歌詞が省略されている!
えぇ~、ふざけんなよって感じ。
少なくとも俺がおぼえてるだけでも、石原慎太郎を批判してる部分と、新興宗教を批判してる部分と、アメリカのベトナム侵略を批判してる部分と、ソ連のチェコ進行を批判している部分の歌詞が『削除』されてる!!
なんだよ、この言論規制は!
いつから日本は北朝鮮みたいな国になったんだ?
いまの日本は、1960年代よりもさらに言論の自由がぶち壊されているのか!?
いつからこんな国になった?
誰がこんな国にした?
そういやぁ、中川五郎の「主婦のブルース」も、カラオケ版では半分ぐらいが省略されてるんだよなぁ…。
いったいなんなんだよ、テレビでは放言を人気政治家どもが馬鹿みたいに繰り返すのに、こういう一般社会の娯楽は規制天国かい?
狂ってやがるぜ。
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ちょっと前だけど、最近話題の『売国奴に告ぐ!いま日本に迫る危機の正体 』(三橋貴明・中野剛志 著)を読んだ。
まぁ、学術的なレベルの本じゃないけど、結構爽快で面白い。
書いてる内容もおおむね、俺の気分と同じ。
この本のネックは、やっぱり語り口だろうな。
まず、タイトル。
「売国奴に次ぐ」っていうこの下品さが良い。
「世の中が下品になってきたんだから、俺たちはその下品な奴らを批判するために、あえてそいつらと同じ下品な言葉遣いをしてやるぜ」っていう意図が透けて見えて面白い!
みなさんもぜひ読んでみてください。
要するには
・保守気取りの新自由主義者こそが、保守どころか安っぽいサヨ豚的『くれくれ君』で売国奴じゃねーか
・ウソばっかの「構造改革」で人気取りしてんじゃねーぞ
・TPP賛成とか言ってる政治家こそ売国奴だろ
という内容。
俺も、学生時代に小泉内閣の研究をしていて、「新自由主義ってのはやべーな。こいつら、理念なんて持ち合わせちゃいねーぞ」とうすら寒さを覚えたものです。
新自由主義者の特徴は、
・実は、持ち合わせるべき思想を持ち合わせていていない、場当たり的な連中
かつ
・口先だけは、悲壮の国士気取り(口だけでならだれでもかっこいいことは言えます)
という印象を俺は持ってるけど、そういう連中が政治の世界で力を持つと、本当に怖い。
要するに『真剣な顔して悲壮そうに「構造改革する!」って連発してりゃテレビっ子の馬鹿な民衆が支持してくれるぜ。楽な商売だよ。フヒヒ』とか考えている最低な政治家が増えてしまうからだ。
俺はそういう連中がこの世で一番嫌いである。
そういう連中は、改革者のポーズをして、民衆を欺き、小馬鹿にすらしているからだ。
そういう連中の温床となってしまう可能性を現在は高くはらんでいるであろう新自由主義を、真剣に政治を考えている俺たちがぶっ飛ばさなきゃならん。
これは、学生時代から俺がずっと思っていることだ。
え?
『流行に乗って「新自由主義マンセー」っていってりゃ楽なのに』って?
残念だね。
俺は昔から流行に乗るのが苦手なんだよ。
損をしたって、おかしいことにはおかしいと言いたい性格なのさ。
あいにくさんだね。
大きな流行とやらにのまれたくないのさ。
ロックンロールが大好きだからね。
いまでもイラク戦争を心底憎んでいる俺は、サッチャー・レーガン・鄧小平・シカゴ学派・小泉・ブッシュ的なネオリベは大嫌いなんだ。
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俺は、政治家の責任ってのは「格好いいことを言わないこと」だと思っている。
悲壮の国士気取りのコスプレショーは、責任感のない馬鹿がすることだ。
本当に内容で勝負したいのなら、口先のプロレスショーはやめろ!
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もう一つ、俺が新自由主義を嫌いな理由。
要するに、「構造改革という名のもとに、公共事業をどんどん切り捨てていく、自由競争にゆだねる」のが新自由主義の内容だけど、
・公共の部分を切り捨てれば、一時的に財政が潤うのは当たり前で、あまりにも知恵のひねり方に乏しい
・一時的に潤っても、それは切り捨てによるものに過ぎないので、切り捨てる玉が切れたらおしまい
・デフレ下で市場(民間)にゆだねても、みんな財布のひもを緩めないので、結局お金は市場に出回らない
・のたれ死ぬ覚悟をもって市場主義の場に出ていくのなら別に勝手にすりゃいいけど、政治家はそんな可能性を民衆に説明しない(卑怯だ)
・単に公共事業を民間に委託する程度の変更で、いったい何が構造改革か。名前だけ格好いいこと言ってるんじゃねぇよ
と言った不満を俺は感じます。