守口市議会議員服部浩之です。
今日はちょっとした勉強会があって、関学に行ってきました。
普段は関大なので、道に迷いました。
「関学って確か門戸厄神だっけ?西宮北口だっけ? まぁ西宮北口から歩けるだろう」と思って西宮北口で降りたら、たっぷり40分ぐらい歩く羽目になりました。
甲東園が一番近い駅なんですね。
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でもまぁ、二時間程度の授業よりも、西宮北口から関学まで歩く方がよっぽど勉強になりました。
じっくり二駅も迷いながら歩けば、地域の雰囲気がつかめます。
守口とはまた全然違う雰囲気なので、思うところがたくさんありました。
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開発で駅数が増え、駅前だけ見て地域の雰囲気を知ったかぶりするのは、大きな間違いだと思います。
駅前なんてのは、所詮作られたもの、チェーン店の羅列です。
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帰りに、阪急だったので、茶屋町のタワレコに立ち寄りました。
岡林信康の「くそったれ節」が聞きたくなって、編集盤を購入。
昔から探している、高田渡の「実録版3億円事件」を探したのですが、売ってませんでした。
店員に訊いたら、「もう廃盤です」とのこと。
中川五郎の「25年目のおっぱい」とか友部正人の「ブルースを発車させよう」とか、ほしいのに、廃盤のレコードってたくさんあります。
70年代初頭ごろのアンダーグラウンドフォークって、いまはニーズが少ないんでしょうか?
そんなに売れないんでしょうか。
タワレコの出入り口で、クラリスっていう中学生アイドルデュオのCDが「売り切れ!」って告知されてあって、「中川五郎の『腰まで泥まみれ』だって、売り切れてもいいのになぁ」と思いました。
高田渡だってしかりです。
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高田渡は非常に有名なので、名前を知らない人はいないと思うのですが、1960年代~70年代初頭に人気のあったフォーク歌手です。
この人の独特なところは、主張をがなり立てるのではなく、ひょうひょうと語っている部分でした。
また、朴訥とストーリーを語る様は、よくいるフォーク歌手とは一線を画していて、ウディ・ガスリーやランブリング・ジャック・エリオットのように『言い聞かせをする流れ者』の風体をちゃんと実現していました。
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高田渡の有名な歌に「自衛隊に入ろう」というのがあります。
僕が学生のころ、これをカラオケで歌ったら、右翼かぶれの友人が「素晴らしい歌だ!自衛隊員を勧誘している歌だな!」と大喜びして、僕は、「バカじゃねぇか。 皮肉ってる逆説の歌だよ!」と思わず怒鳴ったことがあります。
この時僕は、その友人のことを、「あぁ、こういうのを『ゆとり』とか『平和ボケ』っていうんだろうなぁ。当時の時代背景とか、皮肉すらわかっちゃいねぇや。隠喩を推測する力がねぇんだ。アホラシ」と思ったのです。
しかし、それからずっと経って、高田渡の自伝の「ヴァーヴォンストリート・ブルース」を読むと、「当時、『自衛隊に入ろう』を歌って、俺は皮肉って歌っているのに、防衛省から褒められたり、この歌を聴いて入隊したりする奴がいて唖然とした」と書いてあった。
これは目から鱗だった。
要するに、当時も今と変わらないのである。
つまり、「最近はゆとりで文章の意味が理解できていない」とか「平和ボケで軍隊の怖さがわかってない」とかじゃなくて、「いまも昔も、そういう想像力の欠如した連中はいくらでもいる」わけなのだ。
この発見は、僕にとって、大きな衝撃だった。
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高田渡の歌は、そんなに毎日聞くものでもないが、いつでも、ふと思い出してしまう。
原発の怖さを歌った歌もあった。
タイトルは忘れたが、「鯖に味噌汁」だっただろうか?
こんな内容だ。
『最近、核実験が多い。
海が汚されていそうで怖い。
俺は、マグロも鯖も好物だが、怖くて食べれない。
妻がさ、よく知りもせず、鯖を買ってきた。
俺は「このバカ。ソ連とか中国とかフランスの核実験をしらないのか」と妻を罵倒した。妻は泣きながら、魚を捨てた。
でも、魚の肉を見て、俺の食欲は、我慢が出来なくなっていた。
結局夕方ごろ、俺は自転車に乗って、マグロを買いなおしに出かけた。』
たしか、そんな内容の歌だった。
人間の醜さと欲深さが見事に描かれている歌だ。
僕は疑問なのだ。
あれだけとんでもない原発事故が起こったのに、一向に、このようなトピカルソングが作られない(斉藤和義のずっと嘘だったんだぜはあったけど)。
これは、日本人が平和ボケしている証拠だ。
みんな、恐怖心をなくして、底が抜けた日常を取り繕って信じきっている。
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そういえば、去年の5月3日の「春一番コンサート」で、中川五郎が、高田渡の「銭がなけりゃ」を替え歌して、歌っていた。
『東京は いいところさ
住むなら青山に決まってるさ
放射能がなけりゃね』
これは言い過ぎかもしれない。
でも、危機感は持っていて、悪いものではないな、と僕は、聴いていて思ったものだ。
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中川五郎の替え歌はまた別としても、「銭がなけりゃ」「生活の柄」「69」「値上げ」「コーヒーブルース」といった高田渡の名曲は、つい口ずさみたくなる。
『わが恋人は
あんまりにも 僕が撫でまわすので
ずんべらぼうになってしまった』
とは、いったい、どの曲の歌詞だっただろうか。
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「コーヒーブルース」には、京都が歌われている。
3条のイノダコーヒーに行く歌だ。
僕はこの歌にあこがれ、学生時代、同志社でもないのに、わざわざ京都までよく遊びに行ったものだ。
六曜社とイノダのコーヒーを飲んでぶらついて、「高田渡もこんなふうにぶらついていたのかなぁ」と想いを馳せたものだ。
高田渡は、もともとは岐阜の生まれだが、京都を拠点にして歌っていた。
このあたりのエピソードは、いろいろな本に書かれているので、読んでみるのも面白いだろう。
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高田渡の存在は、日々、大きくなっていく。
ふしぎなものだ。
ちょっと用事があって京都に行くと、ついついイノダでコーヒーを飲んでしまうのはご愛嬌だが、それでもそのたびに、高田渡の歌を思い出す。
去年、ビート二クス(YMOとムーンライダースのメンバーのバンド)のライブを聞いたら、「あの日見た高田渡は遠い夕日の中」という歌詞の歌に出会った。
いまでも、いろんなところに高田渡の記憶は生きている。
それが、もっと一般化されれば、もっと世の中は、政治に対する意識や、お偉いさん方に対して本質を見て皮肉する精神が、磨かれるだろう。
僕はそう思う。