はっとり浩之オフィシャルブログ

2012年4月14日

あの日見た、高田渡は遠い夕陽の中

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 3:34 AM

守口市議会議員服部浩之です。

今日はちょっとした勉強会があって、関学に行ってきました。

普段は関大なので、道に迷いました。

「関学って確か門戸厄神だっけ?西宮北口だっけ? まぁ西宮北口から歩けるだろう」と思って西宮北口で降りたら、たっぷり40分ぐらい歩く羽目になりました。

甲東園が一番近い駅なんですね。

でもまぁ、二時間程度の授業よりも、西宮北口から関学まで歩く方がよっぽど勉強になりました。

じっくり二駅も迷いながら歩けば、地域の雰囲気がつかめます。

守口とはまた全然違う雰囲気なので、思うところがたくさんありました。

開発で駅数が増え、駅前だけ見て地域の雰囲気を知ったかぶりするのは、大きな間違いだと思います。

駅前なんてのは、所詮作られたもの、チェーン店の羅列です。

帰りに、阪急だったので、茶屋町のタワレコに立ち寄りました。

岡林信康の「くそったれ節」が聞きたくなって、編集盤を購入。

昔から探している、高田渡の「実録版3億円事件」を探したのですが、売ってませんでした。

店員に訊いたら、「もう廃盤です」とのこと。

中川五郎の「25年目のおっぱい」とか友部正人の「ブルースを発車させよう」とか、ほしいのに、廃盤のレコードってたくさんあります。

70年代初頭ごろのアンダーグラウンドフォークって、いまはニーズが少ないんでしょうか?

そんなに売れないんでしょうか。

タワレコの出入り口で、クラリスっていう中学生アイドルデュオのCDが「売り切れ!」って告知されてあって、「中川五郎の『腰まで泥まみれ』だって、売り切れてもいいのになぁ」と思いました。

高田渡だってしかりです。

高田渡は非常に有名なので、名前を知らない人はいないと思うのですが、1960年代~70年代初頭に人気のあったフォーク歌手です。

この人の独特なところは、主張をがなり立てるのではなく、ひょうひょうと語っている部分でした。

また、朴訥とストーリーを語る様は、よくいるフォーク歌手とは一線を画していて、ウディ・ガスリーやランブリング・ジャック・エリオットのように『言い聞かせをする流れ者』の風体をちゃんと実現していました。

高田渡の有名な歌に「自衛隊に入ろう」というのがあります。

僕が学生のころ、これをカラオケで歌ったら、右翼かぶれの友人が「素晴らしい歌だ!自衛隊員を勧誘している歌だな!」と大喜びして、僕は、「バカじゃねぇか。 皮肉ってる逆説の歌だよ!」と思わず怒鳴ったことがあります。

この時僕は、その友人のことを、「あぁ、こういうのを『ゆとり』とか『平和ボケ』っていうんだろうなぁ。当時の時代背景とか、皮肉すらわかっちゃいねぇや。隠喩を推測する力がねぇんだ。アホラシ」と思ったのです。

しかし、それからずっと経って、高田渡の自伝の「ヴァーヴォンストリート・ブルース」を読むと、「当時、『自衛隊に入ろう』を歌って、俺は皮肉って歌っているのに、防衛省から褒められたり、この歌を聴いて入隊したりする奴がいて唖然とした」と書いてあった。

これは目から鱗だった。

要するに、当時も今と変わらないのである。

つまり、「最近はゆとりで文章の意味が理解できていない」とか「平和ボケで軍隊の怖さがわかってない」とかじゃなくて、「いまも昔も、そういう想像力の欠如した連中はいくらでもいる」わけなのだ。

この発見は、僕にとって、大きな衝撃だった。

高田渡の歌は、そんなに毎日聞くものでもないが、いつでも、ふと思い出してしまう。

原発の怖さを歌った歌もあった。

タイトルは忘れたが、「鯖に味噌汁」だっただろうか?

こんな内容だ。

『最近、核実験が多い。

 海が汚されていそうで怖い。

 俺は、マグロも鯖も好物だが、怖くて食べれない。

 妻がさ、よく知りもせず、鯖を買ってきた。 

 俺は「このバカ。ソ連とか中国とかフランスの核実験をしらないのか」と妻を罵倒した。妻は泣きながら、魚を捨てた。

 でも、魚の肉を見て、俺の食欲は、我慢が出来なくなっていた。

 結局夕方ごろ、俺は自転車に乗って、マグロを買いなおしに出かけた。』

たしか、そんな内容の歌だった。

人間の醜さと欲深さが見事に描かれている歌だ。

僕は疑問なのだ。

あれだけとんでもない原発事故が起こったのに、一向に、このようなトピカルソングが作られない(斉藤和義のずっと嘘だったんだぜはあったけど)。

これは、日本人が平和ボケしている証拠だ。

みんな、恐怖心をなくして、底が抜けた日常を取り繕って信じきっている。

そういえば、去年の5月3日の「春一番コンサート」で、中川五郎が、高田渡の「銭がなけりゃ」を替え歌して、歌っていた。

『東京は いいところさ

 住むなら青山に決まってるさ

 放射能がなけりゃね』

これは言い過ぎかもしれない。

でも、危機感は持っていて、悪いものではないな、と僕は、聴いていて思ったものだ。

中川五郎の替え歌はまた別としても、「銭がなけりゃ」「生活の柄」「69」「値上げ」「コーヒーブルース」といった高田渡の名曲は、つい口ずさみたくなる。

『わが恋人は

 あんまりにも 僕が撫でまわすので

 ずんべらぼうになってしまった』

とは、いったい、どの曲の歌詞だっただろうか。

「コーヒーブルース」には、京都が歌われている。

3条のイノダコーヒーに行く歌だ。

僕はこの歌にあこがれ、学生時代、同志社でもないのに、わざわざ京都までよく遊びに行ったものだ。

六曜社とイノダのコーヒーを飲んでぶらついて、「高田渡もこんなふうにぶらついていたのかなぁ」と想いを馳せたものだ。

高田渡は、もともとは岐阜の生まれだが、京都を拠点にして歌っていた。

このあたりのエピソードは、いろいろな本に書かれているので、読んでみるのも面白いだろう。

高田渡の存在は、日々、大きくなっていく。

ふしぎなものだ。

ちょっと用事があって京都に行くと、ついついイノダでコーヒーを飲んでしまうのはご愛嬌だが、それでもそのたびに、高田渡の歌を思い出す。

去年、ビート二クス(YMOとムーンライダースのメンバーのバンド)のライブを聞いたら、「あの日見た高田渡は遠い夕日の中」という歌詞の歌に出会った。

いまでも、いろんなところに高田渡の記憶は生きている。

それが、もっと一般化されれば、もっと世の中は、政治に対する意識や、お偉いさん方に対して本質を見て皮肉する精神が、磨かれるだろう。

僕はそう思う。

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

このコメント欄の RSS フィード

コメントフォームは現在閉鎖中です。

Powered by WordPress