はっとり浩之オフィシャルブログ

2012年3月17日

一中卒業式、吉本隆明の死、海洋堂

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 1:53 AM

守口市議会議員の服部浩之です。

今日は夜の11時半まで委員会だったので疲れました。

結構身のある議論だったなと思います。

自宅から歩いて5分ぐらいの一中の卒業式にお呼ばれしました。

ありがとうございました。

小学校の同級生が立派な先生になっててびっくり。

あと、とんがった髪型をした男子はいるかな?と思って注目してたんですけど、意外にみんな普通でしたね。

おもわず関係者に「頭髪検査でもあるの?」と訊いたら、「いまどきそんな前時代的なもんありません」と言われました。

あっそう。

頭髪検査でバリカン持った教師に反抗するのもまた一つのいい思い出というか、成長の過程だったんですけどねぇ。

僕の持論は、若いうちは、たっぷりと権力や権威に反抗するほうが良い。

でも、大人になったら、他人に迷惑をかけちゃダメ!

若いうちにいろいろやっといて、いっぱい叱られた方が、分別のある大人になれると思うんですよね。

俺が分別のある大人かどうかはわかんないけど、俺も学生時代は何度も停学になったもんだし(それがすばらしいというつもりはないけど)。

苦い経験を繰り返して、喧嘩の止めどころってのがわかってくるんだよね。

そういう、失敗の練習期間として、学生時代ってあると思うんだよね。

社会に出たら、もう西部劇と同じよ。

高く吊るされて死ぬかもしれねぇんだ、そのためにゃぁ、喧嘩のやりかたや引きぎわのセンスってもんを、しっかりと覚えとかなきゃならねぇんだ。

偉大なる思想家、吉本隆明が死んじまったね。

こんなに悲しいことってないよ。

俺のアイドルだったんだ。

学生時代、俺は世の中にいろんな恨みつらみを抱えていた。

でも、それをうまく言語化できなかった。

世の中の大多数に押しやられて、少数化の主張をどういうふうに唱えたらいいのかがわからなくて、いつも悶々としていた。

そんな時に、不意に現れたのが吉本隆明の本だったんだ。

吉本隆明は、世の中の流行に徹底的に反抗していた。

少数派が感じる違和感を、見事に言い表していた。

それは例えば、世の中がみんな小泉純一郎にしびれているときに、恥ずかしがらずに、「あんなの、口先だけだぜ」と言えちゃうような格好良さだった。

俺は、「あ! こういう生き方があるんだ!」って目が覚める思いだったんだ。

流行に逆らうことを言っても、大丈夫なんだ、と勇気づけられた。

やわな思想の少年が、強い確信を持てた瞬間だった。

『「私の」戦争論』なんて、僕にとってはバイブルだったけど、50冊ぐらい、学生のころは、次から次へと吉本隆明を読んだものだ。

世の中が、ついつい格好よさそうな方向に流されそうな時、「いいや、それは違うぜ」と堂々と言う姿が格好良かった。

格好悪いことを格好良いといえる人、格好良いことを格好悪いといえる人だった。

自分の違和感を、ちゃんと口に出せる人だった。

世の中がどんどん極論化していく中、世の中の本当の複雑さ、抽象的な部分にこそ、議論の必要性があるのだということを、きっちりと言語化した人だった。

俺はあこがれて、「よせやい」とか「~だぜ」という、吉本隆明のしゃべり方まで真似たくなったほどだ。

吉本隆明は死んじまったけど、これをきっかけに、一人でも多くの人が、彼の著作を読んでくれたら、きっと世の中は、少しだけましになると思う。

俺はめったに確約しないけど、これは確信している。

みんな、吉本隆明を読もうぜ、こんなクレイジーな世の中だからよぉ。

今日の委員会では、びっくりの事実が判明。

なんと、守口市で海洋堂の展覧会をやる予定だったのが、市が断ったんだってよ。

野党の追及で、このことが判明した。

そして、なんとか、市長に「やっぱり展覧会をやりたいと思います」と言ってもらうことができた!

これは野党の快挙だ!

俺は昔、現代思想とか現代美術の研究のゼミにいたんだけどさ、あぁいう、キッチュな文化ってのは、文化的価値が認められてるんだよ。

ビートルズとかだって、昔は大人に馬鹿にされてたけど、いまはすごく価値があるだろ?

俗悪の一部は、そのうちに価値に代わるんだ。

収益だって絶対に出ると思うし、それ以上に、美術史に残る可能性があるんだよ。

それは、絶対に守口市の郷土史の誇りになるだろう。

そういうこと、わかってほしいなぁ。

マジで。

それをもとに、現代美術の展覧会をよくやる街として世に名を売ることだってできるかもしれないんだし。

俺が実際、思想とか美術の研究生だったから、よくわかってるんだけど、ある種のニッチな現代美術展をやったら、それを見たいマニアとか美大生が、遠くからでもたくさんやってくるんだよ。

さらに言うと、政治ってのは、文化とか美術と結びついてるんだよ。

政治学を学ぶとき、最初に、バルトとかベンジャミンを通読するゼミだってあるんだ。

エラそうな言い方だと思ってほしくはないんだけど、政治や行政が、文化を否定したら、それは、行政としてちょっと間違ってると思うンだよ。

マジで。

なお、この日記は、吉本隆明トリビュートで、いつもよりややべらんめぇ口調でおおくりいたしました。

全然違うんですけど、吉本隆明の、東京下町風の語り口、本当に格好良かったんですよ。

「知識があるのに、べらんめぇ口調」ってところがたまらなかったんですね。

それが、ただのインテリゲンチャでもないし、知識がないのに吠えてるだけ、とも違って格好良かったんです。

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