大学時代の友達と、カラオケに行ってきた。
最近、人と遊ぶ機会が全然なかったので、久しぶりに遊んだような気がする。
すごく気持ちが楽になった。
沖縄民謡の安里屋ユンタが歌いたかったのだけど、良いヴァージョンが入っていなかった。
がっかり。
でも、The Cylcleの「RED RUBBER BALL」が入っていて、これが歌えたのがすごくうれしかった。
友達は、斉藤和義のファンで、あまりカラオケに入っていない「レノンの夢も」「男と女」が入っていたので、うれしがっていた。
僕も、「SWING」を歌った。
友達は、就職をして3年目だが、最近すごくたくましくなった。
就職をした頃は、仕事がつらいのか、人間関係が上手くいっていないのか、すごく落ち込んでいて、たまに会うと、笑顔が顔の上に張り付いて、上手く笑えない状態になっていた。
それが、最近、そういう作り笑いのようなものが、消えている。
何か、自分のペースか、確信のようなものを、得たのだろう。
とても、うれしいことだ。
僕も、最近、人間関係、仕事関係で悩んで悩んで、とてもつらかったので、相談をした。
僕は、いつも、自分の位置がわからなくなってしまう。
たぶん、人との距離感に、敏感すぎるのかな、と思うのだが、「場の空気感、距離感」に、無意識にあわせすぎてしまうことがあって、それが本来の自分と乖離したものであれば、どんどん、苦しくなってしまう。
カラオケをしていても、僕は、いつも、自分の歌いやすい音程ではなく、カラオケの音に無理に合わせてしまう。
こういうのはもう、性質だろう。
でも、もう少し、自分らしく、気楽にいかなきゃ、本当につらいぜ、って最近思っている(そもそも、自分らしくってなんだろう?という問題もあるけど)。
最近、そういう乖離が強すぎて、自分が引き裂かれた思いがして、苦しみに対する反動が、このブログの文章、内容にも、相当影響していた。
それはよくないんじゃないかな、このブログは、本来の俺以上に、すごくひねくれたことを書いてるよ、と、自分では思っていて、困っていた。
どうも、人を怒らせてしまいそうな書き口になっていた。
ある程度、自分を、気楽な自分に保ちつつ、頑張っていくには、どうすればいいのか、それを友達に聞くと、友達は、「薄くなっていくことです」と答えた。
「自分をどんどん薄めて、自分の主張とかエゴを、水のように流しちゃうんですよ。そうすれば、自分が薄くなって、人とのいざこざが消えるんです」と。
それを聴いて僕は、この友達は、すごく苦労しているな、すごいな、と思った。
それにたいして、自分は、ものすごく、甘いことを言っていると、反省した次第である。