はっとり浩之オフィシャルブログ

2013年8月12日

日吉公園の盆踊り、古潭ラーメン、熊五郎ラーメン

カテゴリー: 未分類 — hattori @ 12:09 AM

今日は日吉公園で盆踊りだった。
実は僕は、半年ぐらい前に、日吉公園の砂利が石ころが多いという苦情を受けて、公園課の当時の職員さんに石ころの除去を頼み込ませていただいたことがあるのです。
そのことをふと思い出しながら、踊っていました。

日吉公園の盆踊りは、結構自由な雰囲気だったから、かなり自由に踊らせていただいた。
僕は、どうしてもリズムを聴くと体が動いてしまうたちなので、型通りのダンスは不慣れなところがある。
そのことを、以前は恥じていたのだが、今年の梅雨時ごろに星野源の著作を読んでいて、その中で星野源が岡村靖幸に言及して、「彼のダンスの凄さは、そのダンスが他者に向けられたのではなく、内面に向いていることにある。自己への対話としてのダンスだからこそ、純粋な凄さがにじみ出ている」的な趣旨のことを書いていて、俺はその文章に、雷に打たれるほどに感銘を受けたのだった。
「そうか。自分に語りかけるように、踊ればいいんだ!」
この文章には、本当に感動した。
星野源みたいにすごいソングライターが、内向きのダンスを赦しているのだ。
内向きのダンスでも、恥じなくていいんだ。
俺は、会話が下手で、そのことで昔から悩んできた。
人を前にすると、思っていることが的確に伝えられない部分がある。
伝えようとして、語りすぎたり、礼儀正しさを重んじすぎて、「心を開いていない」と批判されたり。
でも、ダンスは違う。
ダンスは、自己へと、自己の思いのたけを、すべてぶつけて、それによって筋肉が動けばいい。
そして、それによって生じた動きを通して、他者と、言葉を必要としない対話ができたらいい。
そんなことができたら、最高だ!
言葉は、いらない。
究極のボディ・ランゲージだ。
沈黙の重さを、俺は語りかけてやる!

岡村靖幸の「ぶーしゃかLOOP」っていう有名なプロモビデオがあって、僕も大好きなんだけど、先日、ユリイカの岡村靖幸特集を読んでいて、このビデオが「ネットで悪口を言われたときの表情」をテーマに撮影されていることを初めて知った。
怒りの表情やったんや?
俺はずっと、欲情の表情だと思ってた!
この曲って、「たぶん23歳」っていうフレーズをとにかくリズムに合わせて歌いまくるんだけど、そのせいもあって、「推定23歳の若い女に思わず恋をしてしまった47歳の中年の抑えきれない雄叫び」みたいなものを表現しているんだとずっと思い込んでいたのだ。
まぁ、みなさん、YOU TUBEでも彼の公式サイトでも見れるはずなので、ビデオを見てみてください。
みなさんは、どう感じる?

「風立ちぬ」を見に行きたいんやけど、全然時間がとれない。
あ、「ショート・ピース」は、見てきました。
「武器よさらば」が普通に一番おもしろかったんだけど、それってどうよ。

先日、古潭ラーメンを食べて、予想外に美味くてびっくりした。
古潭って、なんか普通ぐらいってイメージがあったんやけどなぁ。
店舗によって違うのか。
なんか、子供のころに食べたころの熊五郎ラーメンに似た懐かしい味だった。
熊五郎は全然味やメニューが変わってしまって、俺はあんまり行かなくなったんだよねぇ(俺の好きだった野菜ラーメンがメニューから消えた)。
昔の、好きだったころの熊五郎をなんか、思い出したわ。

熊五郎ラーメンの天王寺ステーションビル店は、子供のころ、本当によく行った。
その、経緯を語ろう。
中学生になった俺は、親に無理やり塾に通わされていた。
今考えてみりゃ、どんだけ金がかかると思ってんだ、ありがたい話じゃねーか、って感じなのだが、当時クソガキだった俺はそんなこと、考えもしなかった。
放課後の自由な時間を奪われるのが嫌で仕方がなかった。
それで、俺はダダをこねて、無理難題を持ちかければ塾に行かなくて済むだろうと思って、「毎月一枚、HMVでCDを買わせてくれたら、塾に行く」と無茶苦茶なことを言った。
すると、親は、なんとそれを承諾してくれたのだ。
そんなわけで、俺は月一枚、塾の帰りに天王寺のHMVでCDを買うことができるようになった。
当時の俺は、ジャズにのめりこんでいた。
中学校に通うようになってすぐに、京橋の露天商から500円でグラント・グリーンのCDを買って(なぜっ買ったのかよく覚えていない。なぜか昼食を我慢して昼食費を流用してそのCDを買ったのだ)、そのあまりのかっこよさに気が狂いそうになった。
「ジャズってすげー」と思うようになり、ジャズのCDがもっと欲しくてたまらなかったのだ。
ところで、詳しい方ならご存知だと思うが、ジャズのCDを買う場合、国内版を買う必要というのは特になくて、解説書がいらないと思えば、輸入盤で良い。
輸入盤だと、だいたい一枚が980円~1200円ぐらいなのである。
当時、僕の母親は、CDは3000円というイメージがあったようで、僕に毎月3000円もくれた。
おかげで僕は、一か月に2~3枚買うことができたのである。
今でも最初に買った3枚はしっかりと覚えている。
ケニー・ドリュー・トリオの寄せ集め編集版と、ミルト・ジャクソンの「オパス・デ・ジャズ」と、MJQの寄せ集め編集盤だ。
その次に買ったのが、コルトレーンのソウル・トレインかな?そこまでくると、もうはっきりと覚えていない。アート・ペッパーの「アート・オブ・ペッパー」だったかもしれない。
アート・ペッパーにはハマりまくって、「アート・オブ・ペッパー」は、中1のころ、毎日のように聴いていた。
でも、不思議なもので、大人になると、ぜんぜんアート・ペッパーは聴かなくなった。
「サーフ・ライド」ぐらいはたまに聞いてもいいかなって気分にはなるけど、ほとんどの作品は、あまり聞こうと思えなくなってしまった。
大人には、彼の持つセンチメンタリズムや繊細さが、卒業してしまった学校のようで、息苦しく感じられるのかもしれない。

話がずれてしまった。
話をラーメンに戻そう。
中学生の俺が、なぜ、熊五郎ラーメンを頻繁に食べることができたのか?
そのからくりは、実はこの「塾に行く代わりにもらったおこづかい」にあったのだ。
先に述べたように、邦楽のCDの値段並みの3000円をもらえたわけだが、実際に当時の俺が買っていたのは、1000円前後の輸入盤である。
あまりのお金は、ばれなければどうとでも使うことができる。
そのお金で、ストイックにジャズのCDを買い続けるのか?
子供のころの俺の答えは、NOだった。
ストイックにジャズのCDを買い続けるには、天王寺は、誘惑が多すぎたのだ。
当時の俺は、漫画にもゲームにもほとんど興味がなかった。
しかし、「おいしいもの」には大いに興味があった。
学校帰りにラーメン屋でラーメンを食べることに、大いに興味があったのだ!
俺は、いつのまにか、HMVで買うジャズのCDは1枚にとどめ、残ったお金を握りしめて、ステーションビルの熊五郎ののれんをくぐっていた。
中学生になって数か月、遠くで一人でラーメン屋になど、入ったことのなかった俺にって、そこは別天地だった。
俺ぐらいのガキはほとんどいない。
いても、高校生ぐらいの兄ちゃんが徒党を組んで座っている。
客のほとんどは、サラリーマンか、なぜか平日でも私服のオッチャン達だ。
一人でラーメンをすすっている中学生は、ほぼ俺だけ。
俺は、そんな状況に、妙に興奮したものだった。
カルチャーショックの勢いもあってか、熊五郎ラーメンは、おそろしくおいしく感じられた。
ジャズのCDと同じぐらい、中学生のころの俺の、ひそやかな楽しみになったのだった。

実は一度だけ、そのころ、隣の席に座っていた中年の酔っぱらいサラリーマンに絡まれたことがある。
「坊主、なにを一人でラーメン食ってやがる」と、急に横から声をかけられたのだ。
細かいことは覚えていないが、文庫本を読みながらラーメンを食べていて、「何の本読んでんだ、コラ」と言われたので、タイトルを答えて(たぶん、宮本輝だったと思う)、すると、「勿体ねぇよ、お前!」と急に怒鳴られたような気がする。
とにかく、そのおじさんは、若くて将来のある俺が、一人で文庫を読みながらラーメンをすすっている姿に、なぜか深い憤りを感じたらしかった。
「そんなことしてても、何物にもなれねぇぞ」的な説教をされた。
そして、おもむろにペンをどこかから取り出し、店内備え付けのナプキンに「人生は一度だ」と書き込んで、「これを持ってろ」と言って、俺に押し付け、そのまま店を出て行った。
俺が、「なんだったんだ……」と思いながら、残りのラーメンをすすり終えて、伝票を持ってレジに行くと、店員さんが「さっきのお客さんが払ってくれたよ」と言った。
なんだか妙に感動して、俺は、そのくちゃくちゃの紙ナプキンを、制服の内ポケットにしまいこんだ。

あれから、20年ぐらいが経過してしまった。
20年も、経過してしまったのだ!

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