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	<title>はっとり浩之オフィシャルブログ</title>
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	<description>おいらの寝言を聞いとくれ（実は真面目だぜ？）</description>
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		<title>関係性から意味性へ</title>
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		<pubDate>Fri, 18 May 2012 13:49:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[今村仁司「現代思想を読む事典」、宮台真司「そもそも世界はデタラメである」、吉本隆明「日本語のゆくえ」を読む。
３冊とも、学生時代にすでに読んでいる書籍で、読み直しなのでＣＳＮＹの「デジャヴ」を聴きながら、さらっと読み終え [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今村仁司「現代思想を読む事典」、宮台真司「そもそも世界はデタラメである」、吉本隆明「日本語のゆくえ」を読む。</p>
<p>３冊とも、学生時代にすでに読んでいる書籍で、読み直しなのでＣＳＮＹの「デジャヴ」を聴きながら、さらっと読み終えられた。</p>
<p><span id="more-1093"></span></p>
<p>政治にかかわっている今だからこそ、「あぁ、これはこのことを批判していたのか」というように合点がいく（再発見）部分が多々ある。</p>
<p>※</p>
<p>今村仁司「現代思想を読む事典」の「全体主義的言説」の箇所が面白い。</p>
<p>全体主義を形作るのは、論理ではない。</p>
<p>むしろ、意味性を欠いた身体性によって形作られる。</p>
<p>深いメッセージ性を含んだトピカルソングを歌う歌手よりも、観客をノせるアイドルに集まるファンたちの方が統制が取れているという様子をなんとなく想像すれば雰囲気はつかみやすいと思うが、全体主義を形成する言説（大勢を、統制のとれた形で動員させる言説）というものは、終始一貫してはいない。</p>
<p>終始一貫していないが、身体性（勢いのようなものだと解釈してよい）を強く持っているのである。</p>
<p>底の抜けたポストモダン（後期近代）においては、終始一貫した意味性は、単純な勧善懲悪との類似性を指摘され、忌避される可能性がある。</p>
<p>一方で、終始一貫した意味性を欠いた、身体性に基づく物語は、自明である部分がないために、かえってクールに見える。</p>
<p>しかし、それを無批判に受け入れてしまうということは、好ましくはない。</p>
<p>※</p>
<p>宮台真司「そもそも世界はデタラメである」の中の、「オールウェイズ３丁目の夕陽」批判も面白い。</p>
<p>まぁこの映画は当時からいろいろと悪い噂ばかり耳にした映画だったが、宮台の批判は的を得ていると思う。</p>
<p>まず第一に、彼は、この１９５０年代を描いた映画を、「１９５０年代を実体験している人間にとっては、うさん臭い嘘ばかりの世界」であると断ずる。</p>
<p>そして、この映画を好意を持って受け入れる人間は「１９５０年代を実体験していないので、いくらでも美化されることに違和感を感じない人々」である傾向が強いとする。</p>
<p>そして、こういった傾向を、「近いものよりも遠いものを好む」という傾向であると定義する。</p>
<p>ようするに、「実態を知っている相手よりも、実態をよく知らない相手の方が素敵に見える」傾向であるというのだ。</p>
<p>なるほど、近頃の、マニフェスト選挙に代表される「候補者本人の人となりよりも、どの政党（組織）に属しているかで判断する」という傾向も、この傾向の一つの展開であるかもしれない。</p>
<p>また、宮台は、「死んだ恋人と、彼の死後にできた新しい恋人ならば、死んだ恋人の方が美化されやすい」とし、そのうえで、「しかし、それは彼が死んでいるからであって、もしも生きていたら、現在の生きている彼と同様に、神秘性は薄れていっただろう」とする。</p>
<p>これも、上記の「近い人間に対する遠い人間の勝利」の一つのヴァリエーションである。</p>
<p>そして、宮台は、そのような傾向を「ウブに過ぎる」と警告する。</p>
<p>遠い他者に勝手に期待したり、遠い他者を勝手に批判することは、あまりにも自身の観察努力を怠っている行為であるし、あまりにも、人生経験に乏しい行為であるからだろう。</p>
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		<item>
		<title>流れ者のララバイ（守口だんじり祭りとわんぱく大会）</title>
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		<pubDate>Sun, 13 May 2012 15:53:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[母校の守口小学校で行われた「第２７回わんぱく大会」と、「守口だんじり祭り」に参加させていただきました。
※

まず、朝６時半から八雲の南十番の一員として地車を曳かせていただき、途中で抜けて背広に着替えて守口小学校の「第２ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>母校の守口小学校で行われた「第２７回わんぱく大会」と、「守口だんじり祭り」に参加させていただきました。</p>
<p>※</p>
<p><span id="more-1085"></span></p>
<p>まず、朝６時半から八雲の南十番の一員として地車を曳かせていただき、途中で抜けて背広に着替えて守口小学校の「第２７回わんぱく大会」を観戦させていただきました。</p>
<p>地車を曳いてからいったん家に帰って背広に着替えていたため、「第２７回わんぱく大会」の方は始まる時間ぎりぎりになってしまって、僕が観戦席にたどり着いた時点ですでに４人の議員さんがいらっしゃっていたのですが、僕の母校の守小で行われる運動会だったから気を使ってくださったのか、ちゃんと前の席を空けてくれていました（そして４人とも、「前に座っていいよ」とおっしゃってくださいました）。</p>
<p>全員僕より年上の議員さんばかりでしたので、「いえ、ここは僕が後ろに」と言うべきか相当迷ったのですが、もう運動会が始まりそうだったので、そのまままえにすわらせていただきました。</p>
<p>お気遣い、ありがとうございました！</p>
<p>そのあと、お昼からまた地車に戻る約束だったので、「たしか駅前で、昼ごはんの後でパフォーマンスをやるんだったよな。よっしゃ、昼飯を食ってから行こう！」と思って、家の裏のスーパーで弁当を物色していたら、地車保存会の方から電話。</p>
<p>「なにやってんだ！　もう議員さんのあいさつ始まってるぞ！」</p>
<p>「え！？」</p>
<p>すっかり勘違いしていたのですが、実はお昼ご飯の前にあいさつがあったのです。</p>
<p>僕はこれを、お昼ご飯を食べた後（つまり一時ごろ）にあるものと勘違いしていたのです。</p>
<p>うひゃ、やべぇってことで、大慌てで駅前に。</p>
<p>一人だけ少し遅れてあいさつすることになってしまいました。</p>
<p>遅れてしまったのに、あいさつをさせていただけたご厚意、本当にありがとうございます。</p>
<p>今後、重々気を付けます……。</p>
<p>※</p>
<p>そのあと、地車をもとの場所まで曳くのは、午後３時ごろからなので、いったん離脱して、個人的な調べものをしていました。</p>
<p>そして、午後３時ごろにはっぴに着替えてもう一度駅前へ。</p>
<p>汗だくになって南十番まで地車を返しました。</p>
<p>僕は、今回は地車の後方左側に位置していたのですが、去年、後方の真ん中に位置していた時よりは多少楽だったような気がします。</p>
<p>気候が多少涼しかったのか、それとも、曳く位置の問題なのか。</p>
<p>肩を入れる（地車を肩や背中で担ぐような体勢）機会が少なくて済んだのかもしれません。</p>
<p>ちなみに、駅前から南十番まで曳いて帰る途中、６人の知り合いの方を見かけたのですが、僕の存在に気が付いてくれたのは２人だけでした。</p>
<p>基本的にみなさん、地車の上部を眺めている人が多いわけで、後ろで曳く役は見た目には地味な場合があり、視界に入りにくいのかもしれません。</p>
<p>「前に行くべきだよ」とあとで知り合いの方に言われたのですが、僕は個人的には、後ろで黙々と曳いてるのが好きです。</p>
<p>それにそもそも、長年やってる人を差し置いて、去年から参加させてもらってるちんぴらの俺が目立つ場所に行くのはおかしいだろと俺は思うんですよね。</p>
<p>去年、「進行中に少しだんじりの上に乗せてもらうかい？」と言ってもらえたことがあって、そのように言っていただけたのは本当にありがたかったのですが、僕は「うれしいけど、やっぱり、それは長い年月、地車保存会に貢献している人以外がやっちゃダメだよなぁ」と想い、お断りしたということもありました。</p>
<p>ことさらに、地車はやっぱり、神聖なものですからね。</p>
<p>俺みたいな議員というだけの若造がちょっと手伝っただけで乗せてもらえるものではないと思うのです。</p>
<p>俺は個人的に、分相応以上の物事をあれこれと欲しがることはダメだ、と、できるだけ自分に言い聞かせているんです（欲しがりやすい性質ですから）。</p>
<p>俺は、昔、ライターをやってた頃、有名なライターさんが退社した後の後釜だったこともあってちやほやされて、すっごくいい気になってた時期があったんですよね。</p>
<p>でも、結局あんまり会社に貢献できなかったんです。</p>
<p>結局、自分の能力なんて、辞めた先輩ライターの足元にも及ばなかったんです。</p>
<p>そのことに気が付くまで、当時は随分と時間がかかってしまった。</p>
<p>あの頃の僕がもてはやされてたのは、「今後の成長見込み」だったわけで、「いまの自分の現有能力」を信頼されているわけじゃなかった。</p>
<p>そのことに気が付かず、「有名制作会社のライターだ。俺はすごいんだ」と思い込んでしまった。</p>
<p>そういう慢心に輪をかけて、「徹夜や土日出勤も多いのに月１５万の安月給（しかも、給料支払いの遅滞はザラ）」「社員寮は数人で一部屋」とかそういう「待遇に対する不当感」があって、生意気ばっかり言っていたんだよ。</p>
<p>あのころ俺は、文句ばっかり言ってないで、黙っていいシナリオが書けるように努力や勉強をし続ければよかったんじゃないのか。</p>
<p>いまの俺には、そういう後悔心が、とても深く残っているんだよね。</p>
<p>だから俺は、自分のレベルってものを、いつも気にするようになったんだ。</p>
<p>孫子の兵法に「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」って有名な言葉があるんだけど、「自分のレベル」を把握することって、すごく大切だと思うようになったんだ。</p>
<p>俺は、いつも、自分は、自分の中の想像の自分よりももっとクズ野郎なんだ、と思うようにしている。</p>
<p>でないと、人間の持っている「自分かわいい病」や「自己憐憫の情」の餌食になってしまうからだ。</p>
<p>※</p>
<p>かたずけを手伝わせていただていたら、６時過ぎになったので、そこで抜けさせてもらって、夕方７時からは、行政に詳しい人に、数年前の守口市の行政の状況のこととか、排水溝のこととか、いくつか教えてもらったり、ちょっと勉強していました。</p>
<p>ピース。</p>
<p>守口市議会議員　服部浩之</p>
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		<title>メディアと情報と倫理</title>
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		<pubDate>Wed, 09 May 2012 16:37:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[守口市議会議員の服部浩之ですよ。
※
今日は情報学部出身の友人と会ってメディアや情報倫理について話し合った。
この友人は、政治に関係する職には就いていないが、学生時代から政治に対する関心が強く、今でもいろいろとチェックし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>守口市議会議員の服部浩之ですよ。</p>
<p>※</p>
<p>今日は情報学部出身の友人と会ってメディアや情報倫理について話し合った。</p>
<p>この友人は、政治に関係する職には就いていないが、学生時代から政治に対する関心が強く、今でもいろいろとチェックしている。</p>
<p><span id="more-1078"></span></p>
<p>学生時代、僕に社会学者の宮台真司を教えたのも彼だし、評論家の東浩紀を教えたのも彼だ。</p>
<p>僕が昔から好きだったピンクフロイド以外のプログレッシヴロック（ことさらにＰＦＭやバンコ、アレアやオザンナといったイタリアのプログレ）を聴くきっかけになったのも彼だった。</p>
<p>※</p>
<p>彼が今日語ってくれたことのうち、感心した部分を要約しておく。</p>
<p>※</p>
<p>・世の中には政治に関心のある人と関心のない人がいる</p>
<p>・政治は、失敗すれば有権者にしっぺ返しが来るので、有権者は、自分の身を守るためにも、政治には注意を払うことが好ましい</p>
<p>・しかし、政治に関心のある人の中にも「ちゃんと自分で分析して知識を得ている人」と「他人から聞いた話をうのみにしているだけの人」がいる</p>
<p>・後者の「政治に関心はあるのに、誤った情報をうのみにしている人」は、ある意味では政治に関心がない人以上に問題がある</p>
<p>・テレビや新聞の報道は、偏っていて、あてにならない</p>
<p>・そのうえ、テレビや新聞は視聴率を重要視するため、地味（だが重要）な政策は記事にならない。結果、分析に乏しいゴシップレベルの記事が多くなる。</p>
<p>・また、紙面や時間の制限から、テレビや新聞は、「法律や制度や過程」といった、政治を議論する上での基礎知識をすら伝えられない</p>
<p>・ということは、結局は、有権者は、テレビや新聞や人のうわさ話を鵜呑みにする前に、法律や議会の制度、議会制民主主義の成立過程といった、議論の土台をまずしっかりと勉強しなくてはならない</p>
<p>・しかし、みんな仕事などがあり忙しいので、そんなことに努力を払うことができず、結局は、根拠に乏しい話題をゴシップ的に語ったり、分析を怠って感情的に語ったり、政治家を見た目やイメージで判断することになる</p>
<p>・あるいは、本当は政策そのものには関心がないけれど、暇つぶしやストレス解消のために、政治に対して文句を言ってすかっとしたいという人も存在する</p>
<p>・こういう人はさらにやっかいで、単にストレスを解消したいだけなので、詳細な分析や、政策が中長期的にどういう効果を及ぼすかにも興味がない（興味があるフリはする）</p>
<p>・テレビや新聞が、そういう人を支持者として取り入れて視聴率を稼ぐために、なおさら根拠に乏しいゴシップ的な報道が増えていき、正当な政策分析の議論が減ってしまう</p>
<p>・一方で、インターネットは、基本的に無料で閲覧できるものだし、長さの制限がないので、読み手に媚びる必要はなくなる</p>
<p>・それゆえに、新聞やテレビよりも、より詳細な分析が書かれている可能性がある</p>
<p>・ただし、インターネットは「誰でも発信者になれる」メディアなので、まったくのウソが書かれている可能性も高い</p>
<p>・要するに、本当は全く政策に対する知識がない人でも、好き勝手に批評を書いて公開することができてしまう</p>
<p>・ということは、結局、インターネットを閲覧する場合にも、その記事が正しいのかどうかを判断する審美眼が有権者に必要になる</p>
<p>・審美眼はどうやって得られるのかといえば、それはやはり、法律や議会の制度、議会制民主主義の成立過程といった基礎知識をしっかりと勉強しているかどうかにかかってくる</p>
<p>・また、上記のように、インターネットは匿名で誰でも発信できるものなので、いわゆる「工作員」が制作したホームページが存在することも、大きな問題だ</p>
<p>・「工作員」とは、「一般人を装いながら、本当は、特定の政治団体に頼まれて、その政治団体にとって好意的な記事を発信している人」のことである</p>
<p>・普段、あまりインターネットに接しない高齢者や、政治に対する本格的な知識に乏しい人ほど、「工作員」が制作したホームページや発言を鵜呑みにしやすい</p>
<p>・なので、基本的には、インターネットの政治談議においては、「実名をちゃんと公開して責任を持った立場で発言している人」「きっちりと政治にかかわった実績や知識を有していることが保障されている人（学者など）」の制作したホームページや発言以外は、信用するべきではない</p>
<p>・これは、もっとも重要なことである</p>
<p>・しっかりと素性を明かし、責任ある立場で発言をしているわけではない人のホームページについては、基本的に「それは本当なのか」「その主張は本当に有用なのか」「その主張は、本当に法的に問題がないのか」「その主張は議会制民主主義において成立しうるのか」ということを、細かく審査しなければならない</p>
<p>・つまり、インターネットは、新聞やテレビよりは情報量が多いが、嘘もたくさん書いてあるので、素性がしっかりしていなかったり、必要以上にアジった内容のものには、注意が必要だ</p>
<p>・結局結論としては、法律や議会の制度、議会制民主主義の成立過程といった、知識の土台をしっかりと理解してからでないと、なかなか政治のことは真実が見えない、ということである。</p>
<p>※</p>
<p>・そもそも、議会制民主主義そのものが、非常に複雑な歴史を経て、今の状態として完成に至っている</p>
<p>・考えても見てほしいのだが、ほんの数十年ほど前までは、帝国主義が蔓延し、世界大戦があったのだし、ほんの数百年前は、日本は戦国時代だった</p>
<p>・今のように（ある意味では）平和になったのは、この数十年のことにすぎないのである</p>
<p>・一方で、遠い古代、ギリシャのポリスの時代から、政治というものはあった。</p>
<p>・変わらないものと、変わり続けているものの間で、奇跡的なバランスを取って、国民の生命を守っているのが、政治である（一方で、国民を殺すのも政治である）</p>
<p>・であるので、それが、様々な規則や法規で縛られているのは、バランス感覚を保たせるために当たり前である</p>
<p>・今、政治が一見「ポップ」になりすぎて（または、視聴者がポップさを求めすぎて）、政治本来が、元来有している複雑さが否定される傾向にある</p>
<p>・これは、非常に危険なことである</p>
<p>・この危険を回避するには、結局のところ、「テレビ、新聞、インターネットのホームページを鵜呑みにしない」ことが重要であり、「自分で（テレビ、新聞、インターネットではなく）専門書で法律や議会制を調べて、きっちりとした知識に基づいて自分で分析・判断する」ことが一番大切である</p>
<p>※</p>
<p>聴いていて、なるほどな、と思った。</p>
<p>たしかに、一理ある。</p>
<p>既存のメディアが情報を流す時に、説明不足なのは事実だし、インターネットはインターネットで、匿名性が高いから、嘘が多すぎる。</p>
<p>結局信用できるのは、自分で実体験した知識と、専門書の専門的な知識のみということである。</p>
<p>おれも、きっちりと常に専門書を読んで勉強せねば。</p>
<p>知識だけのひ弱君にならないためにも、根性と勇気も磨かなくちゃだけどネ。</p>
<p>知識・根性・勇気ってのは一体になってると俺は思うんだ。</p>
<p>知識が欠けていたら、ただの蛮勇になる（間違った方向に費やされる正義や勇気ほど迷惑で危険なものはない）。</p>
<p>根性が欠けていたら、何も継続できない。</p>
<p>勇気が欠けていたら卓上の理論になる。</p>
<p>根性と勇気が行動力を生み出し、その行動の軌道を間違えないようにしっかりと修正するのが知識なんだ。</p>
<p>人に迷惑をかけていないか、自分よがりになっていないか？</p>
<p>それをチェック合うるのも、一つの勇気なんだ。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>Ｃｏｌｄ　Ｉｒｏｎ　Ｂｏｕｎｄ</title>
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		<comments>http://hattorihiroyuki.com/blog/?p=1071#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 07 May 2012 16:35:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[無意味なテレビを
見ただけで
「すべてわかった」
とあなたは言う
「ロミオはジュリエットをオセロ王の密偵に取調べさせてその衣服をはぎ取ったのだ」と
なるほどならば

ジュリエットの毒はだれが煎じて飲ませたのか？
「薄っぺ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>無意味なテレビを</p>
<p>見ただけで</p>
<p>「すべてわかった」</p>
<p>とあなたは言う</p>
<p>「ロミオはジュリエットをオセロ王の密偵に取調べさせてその衣服をはぎ取ったのだ」と</p>
<p>なるほどならば</p>
<p><span id="more-1071"></span></p>
<p>ジュリエットの毒はだれが煎じて飲ませたのか？</p>
<p>「薄っぺらい魂の造形が人間たちを衰退させているの」</p>
<p>とあなたが言う時</p>
<p>そのあなたの鼻がひくついて</p>
<p>醜いのが見える</p>
<p>夕日の中のベイビー</p>
<p>俺は帰ってくるとき必ずシャウトする</p>
<p>「俺は帰っている途中だ」と</p>
<p>いいや、</p>
<p>ちがうな</p>
<p>いつもたどり着かない家路</p>
<p>延々と続く</p>
<p>帰還の帰途≒いまだ途中の帰路</p>
<p>こそが正しい</p>
<p>目を開けば</p>
<p>ミサイルが発射される前に常に爆発している都市が見える</p>
<p>「ソドムとゴモラの記憶は生ごみにして出しておいた。匂いがひどいから隣家から苦情があった」</p>
<p>ポストカードにはエデンの門があしらえてある</p>
<p>ゴージャスなレリーフには</p>
<p>信じられないような淫行の記録</p>
<p>そしていつも同じ俗事が</p>
<p>さも正義であるかのように書きしたためられている</p>
<p>夕日のように顔色が変わったベイビー</p>
<p>家に帰る途中</p>
<p>ネクタイに首を絞められた若い男が</p>
<p>吐しゃ物で股間を汚している</p>
<p>そんなもので</p>
<p>恋を代行したあなたは</p>
<p>角のタバコ屋で</p>
<p>セブンスターの値上がりに</p>
<p>憤慨している</p>
<p>※</p>
<p>国を</p>
<p>嘲笑い</p>
<p>自分だけが唯一の正義であると語れば</p>
<p>人々が列をなして並ぶ</p>
<p>まるで</p>
<p>映画のスタッフロールのように</p>
<p>計算しつくされ、</p>
<p>すでに決められた言語を語る</p>
<p>「見よ、あの外見の美しさと勇ましさを」</p>
<p>と、知恵の妖精が語る</p>
<p>「美しい外見は、勇ましい声色は、すべての嘘を裏返しにする」</p>
<p>私は目を閉じて生きてきた</p>
<p>すくなくとも、この１５年間</p>
<p>テレビのスイッチを切り</p>
<p>性悪説を信じて</p>
<p>生きてきたのだ</p>
<p>コペルニクスの</p>
<p>小さなフラスコの中で</p>
<p>『構図』がバク天をする</p>
<p>ちいさな人物相関図すら</p>
<p>ろくに描くことができない</p>
<p>あの構図を描くと</p>
<p>また違う構図</p>
<p>どれもが</p>
<p>当てはまりすぎる</p>
<p>それゆえに</p>
<p>一つの啓示が</p>
<p>単純にできない</p>
<p>そのことが</p>
<p>あの若い男の首を</p>
<p>ネクタイで締め上げたのだ</p>
<p>股間を汚す吐しゃ物の匂いよ</p>
<p>鋭くとがって</p>
<p>あの娘の心臓を突き刺してみろ</p>
<p>※</p>
<p>「ジュリエットはロミオの外見に見とれ、みだらな表情をした」</p>
<p>「そのあとすぐ、吐き気がやってきて、胃の中のものをおおかた床に吐いた」</p>
<p>「ロミオの息があまりにも臭く、そして性根は、３年間机の中に忘れておいたぬかずけよりも腐っていたのだ」</p>
<p>腐敗臭のすみかはいつも</p>
<p>自称正義と他人を糾弾する集団にある</p>
<p>夕日に溶けて</p>
<p>美しく見える顔が</p>
<p>突然に瓦解する</p>
<p>廃墟の町から</p>
<p>友人が送ってきたポストカードには</p>
<p>酩酊のような文書が</p>
<p>したためてある</p>
<p>太陽に突き刺され、</p>
<p>行く先を過ち、</p>
<p>目がくらみ、</p>
<p>帰る家もなく、</p>
<p>鼻を膨らませ、</p>
<p>他人を批判することに無批判になり、</p>
<p>揚げ足を取られて、</p>
<p>信じていた人間にすっころばされ、</p>
<p>かわいいかわいいと</p>
<p>愛していた息子のような男に</p>
<p>欺かれ</p>
<p>そうしてようやく</p>
<p>絶対悪は</p>
<p>存在しないのだとわかる</p>
<p>額から血液を流し、</p>
<p>瞳からは涙があふれ</p>
<p>悪臭漂う生ごみに顔を突っ込んで果てたジュリエットのように</p>
<p>ひっくり返って</p>
<p>泡を吹きながら怒鳴り散らし</p>
<p>事実をゆがめて報告をし、</p>
<p>自分だけが正義であるとうそぶき</p>
<p>それによって気が楽になり、</p>
<p>ストレスの解消のために</p>
<p>他人を傷つけ</p>
<p>ようやく分かったことだが</p>
<p>「初めから私がやっていた喧嘩は</p>
<p>　必ず勝てる喧嘩ばかり</p>
<p>　私は強い人には戦いを挑まず</p>
<p>　勝ち目のある地道な人間ばかりを攻撃していたのだ」</p>
<p>と悔やみ</p>
<p>次の瞬間、酒場の屋根が割れて</p>
<p>１９世紀の月が唐突に闇夜に浮かび</p>
<p>港町だったので</p>
<p>片足にけがをしたひげもじゃの男が</p>
<p>もう一つの戦争について</p>
<p>口笛で啓発している</p>
<p>「あなたが体験した戦争は</p>
<p>　とても戦争とは言えない代物だ</p>
<p>　ひどい、ひどすぎる</p>
<p>　あれはただのおままごとだ</p>
<p>　あなたはいったいどんな危険性を</p>
<p>　薄氷の上を</p>
<p>　わたってみたのか</p>
<p>　馬鹿を言うんじゃない</p>
<p>　あなたは経験不足だ」</p>
<p>「いいえ、でも、そう</p>
<p>　そのとおり、</p>
<p>　そして戦争はいつも</p>
<p>　そのように</p>
<p>　簡単に単純に</p>
<p>　経験などものともしない次元で</p>
<p>　存在している」</p>
<p>世間知らずの</p>
<p>貧血気味の</p>
<p>ごね得の</p>
<p>少年が</p>
<p>美しい笑顔で</p>
<p>老婆を欺き</p>
<p>すべての真実を</p>
<p>自分のもとへとおびき寄せようとする</p>
<p>「おぉ、あなたのかわいそうな人生を私が吸い上げてあげる」</p>
<p>猫なで声の</p>
<p>恐ろしさよ</p>
<p>※</p>
<p>ポストカードに</p>
<p>大きな月がかかってる</p>
<p>エデンの門は</p>
<p>今日も開かない</p>
<p>人間たちの残虐は</p>
<p>レリーフのいやらしい模様のついでに</p>
<p>こう伝えられている</p>
<p>「絶対悪を信じる者が痛い目に合うのだ」</p>
<p>「絶対的な正義を名乗る人間が</p>
<p>　だまし、</p>
<p>　陥れ</p>
<p>　打ち砕き</p>
<p>　そして</p>
<p>　人々は醜くなって</p>
<p>　他人を糾弾する」</p>
<p>※</p>
<p>夜明け前</p>
<p>ほそぼそと</p>
<p>パンを食していた僕は</p>
<p>東からやってきたバスに乗った</p>
<p>街にはまだ</p>
<p>雨の匂いが漂っていた</p>
<p>すべて</p>
<p>絵画の中から</p>
<p>出てきただけの</p>
<p>水分だった</p>
<p>白々しい</p>
<p>演出の世界</p>
<p>演出と外見を取り払えば</p>
<p>あなたの生存は確立が</p>
<p>ぐんと高まるのに</p>
<p>「おしい」</p>
<p>と隣の席で髪を結う少女がつぶやき</p>
<p>冷たい</p>
<p>鉄条網</p>
<p>が</p>
<p>窓の外を</p>
<p>緩やかに上下をした</p>
<p>二つ前の座席の</p>
<p>老人が</p>
<p>水蒸気でくぐもった窓に指で文字を</p>
<p>書いた</p>
<p>『性悪説を</p>
<p>　信じるならば</p>
<p>　あなたの信じる人を</p>
<p>　まず悪人だと思うべきだ</p>
<p>　あなたの</p>
<p>　性悪説は</p>
<p>　都合のいい一部にのみ</p>
<p>　適応している</p>
<p>　それが</p>
<p>　いやならば</p>
<p>　絶対的な悪を</p>
<p>　絶対的な正義とともに</p>
<p>　否定せよ』</p>
<p>文字は</p>
<p>震えて</p>
<p>泣き叫び</p>
<p>乗客たちの耳たぶや</p>
<p>鼻の先を</p>
<p>噛みまわり</p>
<p>やがてぶるっと</p>
<p>一度身震いをすると</p>
<p>黄色い空へと</p>
<p>吸い込まれていった</p>
]]></content:encoded>
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		<title>代表質問の内容/恐慌時代の音楽</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Apr 2012 16:14:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[守口市議会議員の服部浩之でっす。
５月１日付の守口市の広報に、代表質問の一部が形成されています。
ページ数の問題で、簡単にしか載っていないので、全文をここに掲載します。

今回は質問順序が最後だったので、先に質問した議員 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>守口市議会議員の服部浩之でっす。</p>
<p>５月１日付の守口市の広報に、代表質問の一部が形成されています。</p>
<p>ページ数の問題で、簡単にしか載っていないので、全文をここに掲載します。</p>
<p><span id="more-1066"></span></p>
<p>今回は質問順序が最後だったので、先に質問した議員さんと内容が重複した質問は、あらかじめ削除してあるので、項目的には結構減ってしまいました。</p>
<p>一生懸命原稿を書いたので、ぜひ読んでください☆</p>
<p>（個人的には、教育の中の、物語教育を一押ししています）</p>
<p>※</p>
<p>守口市議会議員、服部浩之でございます。</p>
<p><strong>平成２４年度当初予算案並びに市政運営方針について、何点かにわたって質問させていただきますので、市長におかれましては、どうか熱意のこもったご答弁いただきますようよろしくお願いします。</strong></p>
<p><strong>質問順位が７番目、最後の質問になりますので、前６人の方と重複する質問はできるだけ精査しましたので、短時間の質問になろうかと思いますが、ご清聴をよろしくお願いします。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>さて、昨年は、東日本大震災や近畿地方を襲った台風１２号など、大規模な災害の起こった年でした。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>普段何気なく過ごしてしまっているが、危険はいつだってそこにあるのだ、ただ目に見えないだけなのだ、ということを気づかされた年でした。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>私たちは日頃から、災害に対する備えとして、様々な危険性に対する緻密な分析や、徹底した事前調査を行わなければなりません。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>しかしながら、今、社会を覆っているのは、「きっちりと調べていないけど、なんとなくこれで大丈夫だろう」という勢いだけで安易に考えてしまう傾向であり、これを駆逐していかなければならないのではないかと、激しい危機感を覚えます。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>安全性や、政策の妥当性については、きっちりと裏づけを用意する。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>それこそが、今われわれが忘れがちになっているが、一番大事な、基本中の基本として大切にするべきことではないでしょうか。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>要するに、ちゃんとした分析もせずにあれをやる、これをやるといっていても、足元がぐらついているようでは、なんら結果は残せないのです。私は、額に汗するような、実際的な行為こそが、夢と希望を支える骨格となると確信しています。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>スピードは遅くてもいいのです。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>大慌てで、あれもやるこれもやるなんて言っていたらそれこそ、そのどれもがいい加減に終わってしまうかもしれません。</strong><strong>だからこそ</strong><strong>私は政策一つ一つを、実質的で実際的な、分析にもとづいた審査によって、一歩づつ、額に汗して雪かきをするかのように、やっていける一年にしていこうと思っております。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>そういった観点から、何点かにわたって質問を行います。</strong></p>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>まず、市長は市政運営方針の中で、本市行財政の積極的な情報公開をはじめとする、信頼される組織づくりに努め、全庁一丸となって「新しい時代に夢を、新しい世代に希望を託せる町」の実現に取り組むとおっしゃっておられます。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>では、市長のおっしゃる信頼される組織とはいったいどういうものなのでしょうか。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>上の文言では、実は、その例として、積極的な情報公開しか指針が示されていません。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>そのうえ、具体的にどういうことをすれば情報公開になるのかがわかりません。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>いわんや、後半の夢・希望云々は、具体例と結果のない、ただの修飾句であります。</strong></p>
<p><strong>私の考える信頼性のある組織の特徴といたしましては、</strong></p>
<p><strong>①指示・連絡系統の洗練が行われていること</strong></p>
<p><strong>②そういった縦の連携とは別に人材の横の連携が磐石であり適度な柔軟性を有すること</strong></p>
<p><strong>③トップによる人材の才能の把握が行き届き、適材適所が図られていること</strong></p>
<p><strong>④外からの信頼評価だけではなく、内部の人材同士の信頼が深く、意見交換や作業がスムーズに行えること</strong></p>
<p><strong>⑤組織の枝葉が細かい作業をきっちりとこなし、結果の具現化にまい進できること</strong><strong>、</strong></p>
<p><strong>を挙げさせていただきますが、市長は信頼ある組織とはどのような組織を想定なさっているのか、以上のように何点かの条件で具体的にお聞かせ願いたいと存じます。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>また、その信頼される組織を構築していくためには、どういうことをすればよいのか、組織イノベーション案をできるだけ明確かつ具体的にお応えください。</strong></p>
<p><strong>次に、財政問題についてであります。</strong></p>
<p><strong>昨年９月定例会所信表明の中では、歳入増の取り組みとして使用料や手数料の見直し等を上げられていましたが今回は、何ら触れられてもいません。いったいどうお考えなのかお伺いをいたします。</strong></p>
<p><strong>次に、市ホームページの充実方法についてお伺いいたします。</strong></p>
<p><strong>守口市のホームページが、市民からより親しまれ、活用しやすいホームページとなるよう、何点かにわたり、お伺いをいたします。</strong></p>
<p><strong>まず、ホームページにアクセスした市民の方々から、目的の担当課のページが探しづらいという問い合わせが、何度かございました。</strong></p>
<p><strong>現在のホームページでは、キーワード検索の検索バーが、ページの下部にあり、スクロールしなければ気がつきにくく、何をどこに問い合わせをすればよいのかを、すぐに検索できるよう、キーワード検索をトップページの上部のわかりやすい位置に移動していただくよう要請したところ、一定改善がなされていますが、もう少し位置をずらし、スペースを設け、例えば検索バーの隣か、下部あるいは上部にでも、「調べたい言葉を入力してください」注釈がはいるように、さらなる検索バーの位置について工夫をしていただくことにより、操作性も向上し市民により親しんで活用いただける、ホームページになるものと思いますが、まず一点お伺いをいたします。</strong></p>
<p><strong>これと関連しますが、今のホームページでは、「各課」のページが非常に不親切だという市民の声もよく聞きます。</strong></p>
<p><strong>それぞれの課の名称をクリックしなければ業務内容が出てこないので、市の業務内容や組織に不慣れな人であれば、「この案件はこの課だろうか？」と暗中模索しながら順次クリックしていかなければならない状況です。</strong></p>
<p><strong>しかも、クリックした先には、新着情報がまず出てきて、課の業務内容はずっと下に、あります。</strong></p>
<p><strong>現在のホームページでは「ライフイベントでさがす」というトピックはありますが、この名称では意味がわかりづらい上に、ページの相当下部にございます。</strong></p>
<p><strong>これでは不親切だと思いますので、税金の支払い方法や年金など、問い合わせの多い案件をピックアップして「よくある質問」や「こんなときは？」といった、わかりやすい目的別検索のトピックをつくっていただきたいと思います。</strong></p>
<p><strong>また、言葉遣いが硬い、簡略化されすぎているという意見もよく耳にします。イラストを加えたり、専門用語をやわらかく噛み砕いたりして、誰でもすぐにわかるようなホームページにしていただきたいと思います。</strong></p>
<p><strong>以上３点についてどう対応していただけるのかお応えください。</strong></p>
<p><strong>　次に「もりぐち改革ビジョン」（案）についてでありますが、特に公共施設の管理・運営についてお伺いをいたします。</strong></p>
<p><strong>今日まで守口市では、公共施設の運営については、民間移管や指定管理者制度を活用し、市民サービスの提供と充実に努めてきました。現在、本市ホームページの、「もりぐち改革ビジョン」（案）の中では、公の施設のあり方や運営の見直しについて提示されていますが、市政運営方針の中では、具体的にどう取り組んで行こうとされているのか何も述べられていませんし、今回の見直しについては、過日の議員説明会の中で、市長自ら説明責任を果たしていく旨のご披瀝もありましたが、前例に習い、市民にとって一番いい方途を見出す努力が必要であります。対費用効果もさることながら広く市民に働きかけ、しっかりとした選定をしていかなければならないと考えていますが、市長はどう対応されようとしているのかお示しください。</strong></p>
<p><strong>次に環境問題についてお伺いをいたします。</strong></p>
<p><strong>公共施設におけるLED電球の使用についてでありますが、ＬＥＤ電球は、一般的に長寿命・省エネ・環境に対する負担が少ないといわれております。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>私の調査によれば、蛍光灯が12000時間持つのに対して、ＬＥＤの寿命は平均して４万時間ほどと聞き及んでおります。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>そして、発光効率が高いために、従来の白熱照明と同じ明るさを作るのに、必要な電力が少なくて済むようです。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>それは、低い温度でも十分な発光が期待できるということですので、周辺の冷房効果にプラスに働くということであり、微力ながらもヒートアイランド現象対策にもなります。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>そして、紫外線を発生する量が少ないので、目にやさしいという利点もあるといわれております。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>電気代や、ＣＯ２排出量の具体的な比較を申し上げましても、４万時間使用した場合の比較を申し上げますと、ＬＥＤ電球が、電気代11,100円、ＣＯ２排出量267 kg、たいして、白熱電球が55,200円、1,350 kgと、結構差があります。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>これらのことから、初期投資は必要ですが、長期的なランニングコストを考えますと、コスト削減・目にやさしい・環境にやさしいといった大きな利点があります。このＬＥＤ使用について市長はどうお考えなのかお示しください。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>次に、市役所周辺のまちづくりについてお伺いいたします。</strong></p>
<p><strong>市役所及び地下鉄守口駅周辺は、京阪守口市駅・地下鉄大日駅に比べ、賑わいにかけます。この地域をもっと活性化させるためには、市の顔である市役所庁舎を中心としたまちづくりを考えるべきです。賑わいのためには、大型の商業施設を誘致するのが良いと思いますが、例えば将来構想として市役所庁舎の市庁舎を建て替え、その際には、高層構造設計とし、複合施設として活用を図るのはいかがでしょうか。加えて何らかの形で、市役所付近に、大型商業施設を誘致できないものでしょうか。商業施設を誘致することによって、市民の往来を増加させ、賑わいのあるまちづくりに繋げたいと考えていますが、市長はどのようにお考えなのかお応えください。</strong></p>
<p><strong>次に、生活保護の適正化対策についてお尋ねいたします。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>市長におかれましては、このたび、生活保護適正化対策をたてられ、いくつかの取り組みを挙げておられます。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>しかしながら、それらの取り組みの大半が、受給資格の確認に大きなウェイトが置かれているようですが、それよりも、生活保護受給者を少しでも少なくしていくためには、就労支援が欠かせないと私は思います。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>現在の制度の中には、職業訓練受講手当のつく求職者支援制度といったものが存在します。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>これは、不当な理由で訓練を欠席すれば給付金が不支給となる制度のようでございますので、その点においても、ただ単に手当だけをもらって訓練がおざなりになる心配も少ないようであります。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>こういった就労支援を積極的に活用し、できるだけ速やかな就職活動を通して安定した職についてもらうことが、生活保護受給者を少なくする、根本的な解決につながっていくものと思いますがが、この求職者支援制度の活用について市長はどうお考えなのかお応えください。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>次に、教育について教育長にお伺いをいたします。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>昨今、小中一貫教育の一端として、小学校一年生時からの英語教育が取りざたされています。世界に羽ばたく日本人の育成のためにも、早い段階での英語教育はいいことだと思います。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>しかし、現在の国語教育はどうなっているのでしょうか。</strong></p>
<p><strong>私は、国語教育というのは、「てにをは」や難しい言葉を覚えさせるというだけではなく、物語を読むレッスンを通じて、物語の構造を学ぶことであると考えています。</strong></p>
<p><strong>例えば、昔話や物語というものは、神話や伝承の時代から、「教訓や社会を伝えるもの」として受け継がれています。現在守口市では、守口歴史館で「民話おはなし会」が開催されていますが、学校教育として子どもに、古くから脈々と受け継がれてきている物語を読ませ、構造分析・テキスト分析させることで、私たち人類の築いてきた社会のあり方や問題点を、より多くの子どもたちに伝えることができます。</strong></p>
<p><strong>現在の国語教育に欠けているのはこういった構造分析の部分であり、ぜひとも、昔話や物語の中にある、社会構造の縮図のようなものを、子供たちに伝える国語教育の充実により一層努めていただきたいと思います。教育長のお考えをお示しください。</strong></p>
<p><strong>次に小中学校の統合についてお伺いをいたします。</strong></p>
<p><strong>本市におきましては平成１８年度に守口小学校と土居小学校、梶中学校と藤田中学校が統合されました。</strong></p>
<p><strong>私は、これによって起こった校区の変化の弊害として、新しい環境になることで子ども間のいじめが増加しなかったか、不慣れな新しい学校に通うことで不登校児が生まれなかったか、あるいは校区が広がることで、地域間コミュニケーションなどに問題が生じなかったかなどを大変に危惧しております。</strong></p>
<p><strong>このような弊害の実態調査は行われているのでしょうか。行われているとすれば、何らかの傾向は読み取れたでしょうか。また、そこからどうすればよいのかの検証はなされているでしょうか。</strong></p>
<p><strong>今回、さらに小中学校の統合が進むわけですが、こういった弊害に対する対策を具体的にどう対応していこうとされているのか、お応えください。</strong><strong></strong></p>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>以上をもちまして、私の代表質問を終えさせていただきます。</strong><strong></strong></p>
<p><strong>長時間のご清聴まことにありがとうございました。</strong></p>
<p>※</p>
<p>いかがでしたでしょうか？</p>
<p>今後、また質問の機会が回ってきたら、今回の質問よりももっと洗練された原稿を作れるようにさらに勉強を重ねたいと思っております。</p>
<p>ところで、いま、この文章を打ちながら、ビング・クロスビーの１９３１年録音の「ダイナ」を聴いています。</p>
<p>古い録音ですが、最高にロックなノリで、もう聴いていて血肉脇踊ってまいります。</p>
<p>「ダイナ」は一般的にはジャズの名曲として知られていて、日本人にはディック・ミネや高田渡のヒルトップストリングスバンドの録音でおなじみだと思います。</p>
<p>しかし、このビング・クロスビー盤は黒人的なフィーリングが溢れ出さんばかりで、すっごくロックしてるんです。</p>
<p>黒人がやってる初期ブルース、ジャズ、Ｒ＆Ｂが混在となってロックに吸収されていった経緯があるわけで（１９５０年代のロックンロールヒーローは、黒人が多いですよね。チャック・ベリーやリトル・リチャードなど）、１９３０年ｆ代のジャズヒット曲は、いわゆる現代人が考える「ジャズらしい曲＝モダンジャズ」とは違って、どちらかというと土臭くて、ブルースフィーリングが深くて、ロックンロールに近いと僕は常々思っています。</p>
<p>それどころか、のちのち、ロック界に衝撃を与える１９６０年代後半頃のフリージャズよりも、一般的にはダサいイメージの恐慌時代のジャズ（１９３０年代ごろのジャズ）の方が、僕はロックしていると思っています。</p>
<p>乾いていて、「一発勝負だぜ」ってかんじの演奏がたまらなく、ロックの初期衝動に似ているわけですよ。</p>
<p>※</p>
<p>細野晴臣が、「Flying Soucer 1947」というアルバムで、『１９４０年代のジャズっぽいカントリーヒットや、１９５０年代の映画音楽、自身の１９８０年代のヒット曲などを、戦後すぐの占領下の沈黙の東京から着想を得た「東京シャイネス」というバンドを率いて、１９５０年代に流行したＵＦＯ目撃談を絡ませつつ、すごくロックに味付けして演奏する』という妙技をやってのけていました。</p>
<p>ライ・クーダーが『サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・バンド』を作ったらこんな作品になるんじゃないかなぁというような想像をしていただけるとわかりやすいです。</p>
<p>この作品は、いわゆる一般的に言われている「ロック」の曲を演奏していないのに、すごくロックフィーリングがあふれているんですよね。</p>
<p>僕が、１９３０年代の、一般的にはロックと言われていない音楽から、激しいロックスピリッツを感じ取るのと、すごく似ていると思っています。</p>
<p>僕は、いつも、既存の概念やマスメディアが植え付けようとしている概念に懐疑的で、本当のロックってのは、どういうものなのだろうと思っていて、ぼんやりとその姿の位置を、探っています。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>ダンス　ダンス　ダンス　に見る、一人称記述の恐ろしさ（笑）</title>
		<link>http://hattorihiroyuki.com/blog/?p=1059</link>
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		<pubDate>Sat, 21 Apr 2012 18:30:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[守口市議会議員の服部浩之です。
※
忙しくて全然時間が取れないのですが、ちびちびと村上春樹の「ダンス　ダンス　ダンス」を読んでいて、先日読み終わりました。
で、いまは、電車などの移動時間を使って、阿部和重の「シンセミア」 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>守口市議会議員の服部浩之です。</p>
<p>※</p>
<p>忙しくて全然時間が取れないのですが、ちびちびと村上春樹の「ダンス　ダンス　ダンス」を読んでいて、先日読み終わりました。</p>
<p>で、いまは、電車などの移動時間を使って、阿部和重の「シンセミア」を読んでいます。</p>
<p><span id="more-1059"></span></p>
<p>こちらはめっぽう面白くて、速攻で一巻を読み終わってしまいました。</p>
<p>これらについてちょっと書こうかと。</p>
<p>作品を読んでいない方でも楽しめるように書くつもりです。（笑）</p>
<p>※</p>
<p>阿部和重も村上春樹も、僕が高校生のころにどっぷりとはまっていた作家です。</p>
<p>村上の方は、僕が高校生のころには、「ねじまき鳥クロニクル」が大ヒットしていて、もう大作家でしたが、阿部和重の方は、「インディヴィジュアル・プロジェクション」が文庫になったばかり。</p>
<p>まだまだ有名じゃないし、若いし、私の祖父の実家と同じ山形出身ということで、親近感や「俺たちの時代の新しい作家だ」という意識を感じていました。</p>
<p>ちなみに「インディヴィジュアル・プロジェクション」の文庫版のあとがきを、今考えるとすごい話ですが、東浩紀が書いていました（このころの東浩紀って、まだ「動物化するポストモダン」を書いてなかったんじゃないでしょうか。美少女ゲーム論で非常に有名になるのですが、もともとは東大卒のフランス現代思想研究者でした。確か、柄谷行人に認められてデビューしたんじゃなかったでしょうか。最近は小説を書いたりアニメのシナリオも描いているようですが、未読・未見です）。</p>
<p>以降、阿部和重の小説は、「ニッポニアニッポン」「アメリカの夜」「グランド・フィナーレ」など、出版されると（過去の作品の文庫化も含めて）ざっと読んできたのですが、最高傑作と言われてる「シンセミア」は、全４巻と長大で、なんだか「カラマーゾフの兄弟」みたいな作品らしいぞということで、敬遠してしまって読んでいなかったのです。</p>
<p>それが、読んでみると、素晴らしく面白い。</p>
<p>まだどういう結末になるのかわからないのですが、村上春樹の「ダンス　ダンス　ダンス」の後に読むと、なおさら差が感じられて、面白いです。</p>
<p>※</p>
<p>一方、村上春樹の方は、僕は２０代の初めごろまでに「ダンス　ダンス　ダンス」以外の（その時点で出版されていた）ほぼ全作品を、読んでいました。</p>
<p>高校生のころにどっぷりとはまり、その後、ライターになった時に先輩だったＴさんも春樹ファンだったので、読む意欲が強かったのです。</p>
<p>その時に、「もう、残っている（未読の）長編は「ダンス　ダンス　ダンス」だけかぁ。なんか、読んでしまうと、楽しみがなくなってしまってさびしいな。読まずにとっておこう」と思ったのです。</p>
<p>で、「ダンス　ダンス　ダンス」だけしばらく読まないことにしました。</p>
<p>が、その後徐々に関心が薄れ、「神の子供たちはみな踊る」までは新刊が出ると読んでいましたが、「海辺のカフカ」以降は全く彼の作品を読まなくなりました。</p>
<p>で、「もう別に楽しみにとっておくも何もねぇな」とふと思って、去年の松ぐらいから「ダンス　ダンス　ダンス」を読み始めたのです。</p>
<p>で、読んでみると、高校生ぐらいのころは、深い共感を感じながら読んだはずの春樹作品ですが、いまの感性（２９歳の感性）からは、「うわっ、なんだよ、この中二病の主人公はっ!!」と感じられるのでした。</p>
<p>※</p>
<p>簡単に感じた特徴を書いておきます。</p>
<p>１、この小説の主人公は、かつての自分を取り巻いていた環境への憧憬を抱えて、「良くない世界」に生きていると思い込んでいる</p>
<p>・主人公は、関西（西宮市あたり）から大学進学で東京に上京。そのまま東京でフリーランスで仕事をしていて、離婚経験のある３４歳。</p>
<p>・かつての牧歌的だった関西時代（高校生時代）に対する執着が強い</p>
<p>・また、６０年代の「反抗の時代」の精神を吸収して成長したことが誇りである</p>
<p>・そのため、いまだに（舞台は８０年代）６０年代の音楽を聴き、音楽に思想性を求めている</p>
<p>・６０年代を自傷的反抗の時代ととらえて憧憬を感じ、それゆえに、今自分が暮らしている８０年代を、「なんでもシステム化・合理化され、高潔な精神が失われ、誰もが楽をしたがっている軟な時代だ」と批判する</p>
<p>・つまり、主人公は「失われたものを保守しようとしている」人間である</p>
<p>２、店舗は出てくるが、町は出てこない</p>
<p>・この物語の大半の舞台が、都市あるいは都市近郊の「店舗・家屋内」である</p>
<p>・主人公は、実にいろいろな場所に移動し、それゆえに、現代的な都市小説に見えるが、その移動手段はたいていが車で、描写のほとんどは室内である</p>
<p>・したがって、もしもこの作品に従って地図を作ると、かなり大雑把な地図になる。大雑把な道路でつなげられた、いくつもの家屋の地図になるだろう</p>
<p>・要するに、一見、さまざまな場所が登場し、都市をよく描いているように見えて、その町がどのような道をなしているかの情景が、ほとんど浮かんでこないのである</p>
<p>３、一人称小説であることを巧みに利用して、「あいまいな話者」であることを隠している</p>
<p>・この小説には、一見荒唐無稽な、超常現象的な出来事がいくつか起こる</p>
<p>・しかし、この小説はあくまで、一人称（僕）で語られている</p>
<p>・ということは、すべては「僕」の主観であり、「僕」によって語られている描写が、正しいとは限らないのである</p>
<p>・この、「話者の信用度のあいまいさ」を巧みに利用して、幻想的な小説に仕上げられている</p>
<p>・また、①で述べたように、主人公が、狭心的で過去への憧憬が強い性格であるがゆえに、この物語の「語り」がどこまで信用に足りうるものであるかがあいまいになる</p>
<p>４、過去への憧憬が、この作品を「ライフスタイルを提示する作品」に仕立てている</p>
<p>・世の中には、読んでいて「この小説のようなライフスタイルにあこがれる」という小説と「こんなライフスタイルは嫌だ」という小説の二種類がある。</p>
<p>・阿部和重の小説を読んで「こんなふうに俺も生きてみたい」と思う人は少ないであろう。「暗夜行路」や「夏の闇」や「恩讐の彼方に」を読んで、「あこがれるなぁ」とつぶやく若者はいないであろう。</p>
<p>・一方「坂の上の雲」や「宮本武蔵」なら、あこがれる人もいるだろう。レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウものを読んで「俺もこんなふうにふてぶてしく生きたい」と思う青年だっているだろう</p>
<p>・村上春樹の小説も、一般的には、この「あこがれのライフスタイルを提供する」スタイルであるといわれている</p>
<p>・「神戸の近くで青春期を過ごし」「知的で」「いまは都会（東京）に暮らし」「一人で自立して生きていて」「軟になった８０年代においても、自分のスタイルを貫いている」あたりが、「一見格好良く見える理由」だろう</p>
<p>・実際、中国沿岸部では村上春樹ブームのおかげで春樹的生活スタイルにあこがれる若者相手のビジネスすらあると、日経の記事で読んだ覚えがある</p>
<p>・しかし、いみじくもかつて、蓮見重彦が「村上春樹の小説は、素人が探偵の真似事をする小説で、そんな主人公は誇大妄想的であり、はた迷惑な奴である」という旨の批判をしたように</p>
<p>・あくまで主人公は、現代のフィリップ・マーロウ気取りではあるが、ようはただの都会で暮らすフリーターにすぎず、事件を調査する才能は皆無（というかド素人）であるはずである</p>
<p>・つまり、この小説は、一見、格好いい神戸育ちの自由な都会生活者が謎の事件に翻弄されていく小説のように見えるが、</p>
<p>・読み方次第では、東京での生活にストレスのたまった関西人フリーターが誇大妄想的に事件（っぽいもの）に首を突っ込んでいくだけの変な小説であるともいえる</p>
<p>・ネックは、この小説が一人称なので、なんでも主人公の都合のいいように解釈されていくから、まるで大事件が起きているかのように描写することができるという点である</p>
<p>・例を挙げてみよう</p>
<p>３人称なら</p>
<p>『一階で妻が電子レンジを使ってしまったために、ブレーカーが落ち、一時的な停電になった。二階にいた武雄は、そのことに気が付かず、慌てふためいた』</p>
<p>という文章であっても、これを武雄の一人称にすると、</p>
<p>『台風というのでもないのに、唐突に灯りが消えた。そんなはずはないのだ、と僕は思った。誰かが、どこかで何かの理由で、この部屋の灯りを消したのだ。その可能性は、大いにありうる。僕は、息をひそめ、そっと窓の方に移動した。それから、一階にいる妻のことを想った。彼女はどうなったのだろうか。大丈夫だろうか。もしも何か彼女の身に起こっていたとしたら……。そう思うと、背筋に寒いものが走る思いがした。しかし、待てよ。今ここは、動くべきかどうか、判断の付かない時間なのだ。ここで下手をすれば、命取りになる。僕は、そっと窓を開け、できるだけ音をたてないように気をつけながら、外の様子をうかがった』</p>
<p>と、書けてしまうのである。</p>
<p>これが、一人称の記述の恐ろしいところである。</p>
<p>※</p>
<p>まぁ、そんなわけで、僕は、この小説は随分とよくできた中二病小説だと思うのである。</p>
<p>いや、面白いんだけどさ。</p>
<p>※</p>
<p>余談。</p>
<p>昔から小説でも映画でもなんでも、上記の「あこがれのライフスタイルを提示する作品」/「あこがれのライフスタイルを提示しない作品」がある。</p>
<p>ちなみに、勘違いしてほしくないのだが、前者が優れていて、後者が優れていないというわけではないのである。</p>
<p>むしろ、「あこがれのライフスタイルを提示しない作品」の方が、社会的意義を深く持ち合わせた名作は多いぐらいである。</p>
<p>例えば、大江健三郎の「飼育」を読んで、あんなふうな農村に暮らしたいと思う人はまぁほとんどいないだろうけれど、作品としては文句なしに、圧倒的なオーラを放っている。</p>
<p>６０年代ごろに流行したイタリアのネオ・リアリズモの作品群だってそうだろう。</p>
<p>誰があんな風な息苦しい生き方をしたいだろうか。</p>
<p>それでも、作品としては、社会に対して提示するべきメッセージを強くはらんでいたし、それを見る人に対して、ガツンッ！と攻撃してくるようなものすごさがあった。</p>
<p>つげ義春のマンガだってそうだろう。</p>
<p>「あこがれのライフスタイルを提示しない作品」というのは、これはこれで、渋くてかっこいいものなのだ。</p>
<p>※</p>
<p>一方で、先日「空気系アニメはなぜヒットするのか」という本も読んだんだけど、この本はちょっと統計学的な本なので、別にそんな分析は書いてなかったので、僕の勝手な想像だけど、「けいおん！」がヒットして、澪の真似してベース買う人がたくさんいたり、「らきすた」を見て、聖地巡礼したりする人がいるのって、これらの作品が、「あこがれのライフスタイルを提示する作品」だからだと思うんだよね。</p>
<p>「ひだまり」みたいな、内容的には何にもない作品が大ヒットして４期も作られるのも、やっぱり「俺もあんな生活してみたい」と思うからだと思う。</p>
<p>俺が、阿部和重がもと蓮見のゼミにいて、しかも映画館で働いていたらしいと聞くと「うわー、かっこえー、あこがれるぅ」と思うのと同じで、「うわー、美術学校かよぉ、いいなぁ、あこがれるぅ」ってのがあるんじゃないの？</p>
<p>だから、「日常」があんまりヒットしなかったのは、シュールすぎて、「あこがれのライフスタイルを提示する作品」になりえなかったからだと思うんだよね。</p>
<p>え？「ハルヒ」はＳＦなのにヒットしたじゃんって？</p>
<p>あれは背景美術がリアルだったからヒットしたんだと思うんですよ。</p>
<p>現実の尼崎の商店街とかをそのまま流用していたでしょ。</p>
<p>そのおかげで「あ、こういう世界あるかも」と思わせることに成功したんだと僕は思うのです。</p>
<p>※</p>
<p>僕個人の意見としては、「あこがれのライフスタイルを提示する作品」ばかりがヒットするのは、あまり社会の傾向として、いい傾向ではないと思うんですよね。</p>
<p>それだけ、</p>
<p>・社会が鬱屈している</p>
<p>かつ、</p>
<p>・手軽に娯楽で、逃避したがっている</p>
<p>証拠だと思うから。</p>
<p>本当は、社会が鬱屈しているときこそ、「鉄道員」とか「地下鉄のザジ」とか「砂丘」とか「崖」とかみたいな暗い救いようのない映画を見て、身を引き締めるべきだと思うんですよね。</p>
<p>でも、「そんなもん見てられるかよ。こちとら一日中仕事で疲れてるんだ！帰ったら罪のない（内容もない 注：だから悪いわけではない。内容がない「からこそ」癒されるのだ）アニメでも見て癒されて寝るだけで十分だよ！」って気持ちもよくわかる。</p>
<p>非常によくわかる。</p>
<p>でも。</p>
<p>でもだよ。</p>
<p>やっぱり、たまにはちょっと暗いリアリズム映画を自傷的に見るのも、社会システムの機能回復的にはありだと僕は思うんですよ。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>新自由主義をぶっ飛ばせ！</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Apr 2012 17:04:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[守口市議会議員、服部浩之です。
※
先日、岡林信康のことを書いたのがきっかけで、急に歌いたくなって、仕事が一通り終わった後、深夜に一人でジャンカラに行ってきました（さびしい）。
で、「くそくらえ節」を歌ったんだけど、なん [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>守口市議会議員、服部浩之です。</p>
<p>※</p>
<p>先日、岡林信康のことを書いたのがきっかけで、急に歌いたくなって、仕事が一通り終わった後、深夜に一人でジャンカラに行ってきました（さびしい）。</p>
<p>で、「くそくらえ節」を歌ったんだけど、なんと、カラオケ版ではほとんどの歌詞が省略されている！</p>
<p><span id="more-1054"></span></p>
<p>えぇ～、ふざけんなよって感じ。</p>
<p>少なくとも俺がおぼえてるだけでも、石原慎太郎を批判してる部分と、新興宗教を批判してる部分と、アメリカのベトナム侵略を批判してる部分と、ソ連のチェコ進行を批判している部分の歌詞が『削除』されてる！！</p>
<p>なんだよ、この言論規制は！</p>
<p>いつから日本は北朝鮮みたいな国になったんだ？</p>
<p>いまの日本は、１９６０年代よりもさらに言論の自由がぶち壊されているのか！？</p>
<p>いつからこんな国になった？</p>
<p>誰がこんな国にした？</p>
<p>そういやぁ、中川五郎の「主婦のブルース」も、カラオケ版では半分ぐらいが省略されてるんだよなぁ…。</p>
<p>いったいなんなんだよ、テレビでは放言を人気政治家どもが馬鹿みたいに繰り返すのに、こういう一般社会の娯楽は規制天国かい？</p>
<p>狂ってやがるぜ。</p>
<p>※</p>
<p>ちょっと前だけど、最近話題の『売国奴に告ぐ！いま日本に迫る危機の正体 』（三橋貴明・中野剛志 著）を読んだ。</p>
<p>まぁ、学術的なレベルの本じゃないけど、結構爽快で面白い。</p>
<p>書いてる内容もおおむね、俺の気分と同じ。</p>
<p>この本のネックは、やっぱり語り口だろうな。</p>
<p>まず、タイトル。</p>
<p>「売国奴に次ぐ」っていうこの下品さが良い。</p>
<p>「世の中が下品になってきたんだから、俺たちはその下品な奴らを批判するために、あえてそいつらと同じ下品な言葉遣いをしてやるぜ」っていう意図が透けて見えて面白い！</p>
<p>みなさんもぜひ読んでみてください。</p>
<p>要するには</p>
<p>・保守気取りの新自由主義者こそが、保守どころか安っぽいサヨ豚的『くれくれ君』で売国奴じゃねーか</p>
<p>・ウソばっかの「構造改革」で人気取りしてんじゃねーぞ</p>
<p>・ＴＰＰ賛成とか言ってる政治家こそ売国奴だろ</p>
<p>という内容。</p>
<p>俺も、学生時代に小泉内閣の研究をしていて、「新自由主義ってのはやべーな。こいつら、理念なんて持ち合わせちゃいねーぞ」とうすら寒さを覚えたものです。</p>
<p>新自由主義者の特徴は、</p>
<p>・実は、持ち合わせるべき思想を持ち合わせていていない、場当たり的な連中</p>
<p>かつ</p>
<p>・口先だけは、悲壮の国士気取り（口だけでならだれでもかっこいいことは言えます）</p>
<p>という印象を俺は持ってるけど、そういう連中が政治の世界で力を持つと、本当に怖い。</p>
<p>要するに『真剣な顔して悲壮そうに「構造改革する！」って連発してりゃテレビっ子の馬鹿な民衆が支持してくれるぜ。楽な商売だよ。フヒヒ』とか考えている最低な政治家が増えてしまうからだ。</p>
<p>俺はそういう連中がこの世で一番嫌いである。</p>
<p>そういう連中は、改革者のポーズをして、民衆を欺き、小馬鹿にすらしているからだ。</p>
<p>そういう連中の温床となってしまう可能性を現在は高くはらんでいるであろう新自由主義を、真剣に政治を考えている俺たちがぶっ飛ばさなきゃならん。</p>
<p>これは、学生時代から俺がずっと思っていることだ。</p>
<p>え？</p>
<p>『流行に乗って「新自由主義マンセー」っていってりゃ楽なのに』って？</p>
<p>残念だね。</p>
<p>俺は昔から流行に乗るのが苦手なんだよ。</p>
<p>損をしたって、おかしいことにはおかしいと言いたい性格なのさ。</p>
<p>あいにくさんだね。</p>
<p>大きな流行とやらにのまれたくないのさ。</p>
<p>ロックンロールが大好きだからね。</p>
<p>いまでもイラク戦争を心底憎んでいる俺は、サッチャー・レーガン・鄧小平・シカゴ学派・小泉・ブッシュ的なネオリベは大嫌いなんだ。</p>
<p>※</p>
<p>俺は、政治家の責任ってのは「格好いいことを言わないこと」だと思っている。</p>
<p>悲壮の国士気取りのコスプレショーは、責任感のない馬鹿がすることだ。</p>
<p>本当に内容で勝負したいのなら、口先のプロレスショーはやめろ！</p>
<p>※</p>
<p>もう一つ、俺が新自由主義を嫌いな理由。</p>
<p>要するに、「構造改革という名のもとに、公共事業をどんどん切り捨てていく、自由競争にゆだねる」のが新自由主義の内容だけど、</p>
<p>・公共の部分を切り捨てれば、一時的に財政が潤うのは当たり前で、あまりにも知恵のひねり方に乏しい</p>
<p>・一時的に潤っても、それは切り捨てによるものに過ぎないので、切り捨てる玉が切れたらおしまい</p>
<p>・デフレ下で市場（民間）にゆだねても、みんな財布のひもを緩めないので、結局お金は市場に出回らない</p>
<p>・のたれ死ぬ覚悟をもって市場主義の場に出ていくのなら別に勝手にすりゃいいけど、政治家はそんな可能性を民衆に説明しない（卑怯だ）</p>
<p>・単に公共事業を民間に委託する程度の変更で、いったい何が構造改革か。名前だけ格好いいこと言ってるんじゃねぇよ</p>
<p>と言った不満を俺は感じます。<!--aoeui--></p>
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		<item>
		<title>あの日見た、高田渡は遠い夕陽の中</title>
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		<pubDate>Fri, 13 Apr 2012 18:34:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[守口市議会議員服部浩之です。
今日はちょっとした勉強会があって、関学に行ってきました。
普段は関大なので、道に迷いました。

「関学って確か門戸厄神だっけ？西宮北口だっけ？　まぁ西宮北口から歩けるだろう」と思って西宮北口 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>守口市議会議員服部浩之です。</p>
<p>今日はちょっとした勉強会があって、関学に行ってきました。</p>
<p>普段は関大なので、道に迷いました。</p>
<p><span id="more-1049"></span></p>
<p>「関学って確か門戸厄神だっけ？西宮北口だっけ？　まぁ西宮北口から歩けるだろう」と思って西宮北口で降りたら、たっぷり４０分ぐらい歩く羽目になりました。</p>
<p>甲東園が一番近い駅なんですね。</p>
<p>※</p>
<p>でもまぁ、二時間程度の授業よりも、西宮北口から関学まで歩く方がよっぽど勉強になりました。</p>
<p>じっくり二駅も迷いながら歩けば、地域の雰囲気がつかめます。</p>
<p>守口とはまた全然違う雰囲気なので、思うところがたくさんありました。</p>
<p>※</p>
<p>開発で駅数が増え、駅前だけ見て地域の雰囲気を知ったかぶりするのは、大きな間違いだと思います。</p>
<p>駅前なんてのは、所詮作られたもの、チェーン店の羅列です。</p>
<p>※</p>
<p>帰りに、阪急だったので、茶屋町のタワレコに立ち寄りました。</p>
<p>岡林信康の「くそったれ節」が聞きたくなって、編集盤を購入。</p>
<p>昔から探している、高田渡の「実録版３億円事件」を探したのですが、売ってませんでした。</p>
<p>店員に訊いたら、「もう廃盤です」とのこと。</p>
<p>中川五郎の「２５年目のおっぱい」とか友部正人の「ブルースを発車させよう」とか、ほしいのに、廃盤のレコードってたくさんあります。</p>
<p>７０年代初頭ごろのアンダーグラウンドフォークって、いまはニーズが少ないんでしょうか？</p>
<p>そんなに売れないんでしょうか。</p>
<p>タワレコの出入り口で、クラリスっていう中学生アイドルデュオのＣＤが「売り切れ！」って告知されてあって、「中川五郎の『腰まで泥まみれ』だって、売り切れてもいいのになぁ」と思いました。</p>
<p>高田渡だってしかりです。</p>
<p>※</p>
<p>高田渡は非常に有名なので、名前を知らない人はいないと思うのですが、１９６０年代~７０年代初頭に人気のあったフォーク歌手です。</p>
<p>この人の独特なところは、主張をがなり立てるのではなく、ひょうひょうと語っている部分でした。</p>
<p>また、朴訥とストーリーを語る様は、よくいるフォーク歌手とは一線を画していて、ウディ・ガスリーやランブリング・ジャック・エリオットのように『言い聞かせをする流れ者』の風体をちゃんと実現していました。</p>
<p>※</p>
<p>高田渡の有名な歌に「自衛隊に入ろう」というのがあります。</p>
<p>僕が学生のころ、これをカラオケで歌ったら、右翼かぶれの友人が「素晴らしい歌だ！自衛隊員を勧誘している歌だな！」と大喜びして、僕は、「バカじゃねぇか。　皮肉ってる逆説の歌だよ！」と思わず怒鳴ったことがあります。</p>
<p>この時僕は、その友人のことを、「あぁ、こういうのを『ゆとり』とか『平和ボケ』っていうんだろうなぁ。当時の時代背景とか、皮肉すらわかっちゃいねぇや。隠喩を推測する力がねぇんだ。アホラシ」と思ったのです。</p>
<p>しかし、それからずっと経って、高田渡の自伝の「ヴァーヴォンストリート・ブルース」を読むと、「当時、『自衛隊に入ろう』を歌って、俺は皮肉って歌っているのに、防衛省から褒められたり、この歌を聴いて入隊したりする奴がいて唖然とした」と書いてあった。</p>
<p>これは目から鱗だった。</p>
<p>要するに、当時も今と変わらないのである。</p>
<p>つまり、「最近はゆとりで文章の意味が理解できていない」とか「平和ボケで軍隊の怖さがわかってない」とかじゃなくて、「いまも昔も、そういう想像力の欠如した連中はいくらでもいる」わけなのだ。</p>
<p>この発見は、僕にとって、大きな衝撃だった。</p>
<p>※</p>
<p>高田渡の歌は、そんなに毎日聞くものでもないが、いつでも、ふと思い出してしまう。</p>
<p>原発の怖さを歌った歌もあった。</p>
<p>タイトルは忘れたが、「鯖に味噌汁」だっただろうか？</p>
<p>こんな内容だ。</p>
<p>『最近、核実験が多い。</p>
<p>　海が汚されていそうで怖い。</p>
<p>　俺は、マグロも鯖も好物だが、怖くて食べれない。</p>
<p>　妻がさ、よく知りもせず、鯖を買ってきた。　</p>
<p>　俺は「このバカ。ソ連とか中国とかフランスの核実験をしらないのか」と妻を罵倒した。妻は泣きながら、魚を捨てた。</p>
<p>　でも、魚の肉を見て、俺の食欲は、我慢が出来なくなっていた。</p>
<p>　結局夕方ごろ、俺は自転車に乗って、マグロを買いなおしに出かけた。』</p>
<p>たしか、そんな内容の歌だった。</p>
<p>人間の醜さと欲深さが見事に描かれている歌だ。</p>
<p>僕は疑問なのだ。</p>
<p>あれだけとんでもない原発事故が起こったのに、一向に、このようなトピカルソングが作られない（斉藤和義のずっと嘘だったんだぜはあったけど）。</p>
<p>これは、日本人が平和ボケしている証拠だ。</p>
<p>みんな、恐怖心をなくして、底が抜けた日常を取り繕って信じきっている。</p>
<p>※</p>
<p>そういえば、去年の５月３日の「春一番コンサート」で、中川五郎が、高田渡の「銭がなけりゃ」を替え歌して、歌っていた。</p>
<p>『東京は　いいところさ</p>
<p>　住むなら青山に決まってるさ</p>
<p>　放射能がなけりゃね』</p>
<p>これは言い過ぎかもしれない。</p>
<p>でも、危機感は持っていて、悪いものではないな、と僕は、聴いていて思ったものだ。</p>
<p>※</p>
<p>中川五郎の替え歌はまた別としても、「銭がなけりゃ」「生活の柄」「６９」「値上げ」「コーヒーブルース」といった高田渡の名曲は、つい口ずさみたくなる。</p>
<p>『わが恋人は</p>
<p>　あんまりにも　僕が撫でまわすので</p>
<p>　ずんべらぼうになってしまった』</p>
<p>とは、いったい、どの曲の歌詞だっただろうか。</p>
<p>※</p>
<p>「コーヒーブルース」には、京都が歌われている。</p>
<p>３条のイノダコーヒーに行く歌だ。</p>
<p>僕はこの歌にあこがれ、学生時代、同志社でもないのに、わざわざ京都までよく遊びに行ったものだ。</p>
<p>六曜社とイノダのコーヒーを飲んでぶらついて、「高田渡もこんなふうにぶらついていたのかなぁ」と想いを馳せたものだ。</p>
<p>高田渡は、もともとは岐阜の生まれだが、京都を拠点にして歌っていた。</p>
<p>このあたりのエピソードは、いろいろな本に書かれているので、読んでみるのも面白いだろう。</p>
<p>※</p>
<p>高田渡の存在は、日々、大きくなっていく。</p>
<p>ふしぎなものだ。</p>
<p>ちょっと用事があって京都に行くと、ついついイノダでコーヒーを飲んでしまうのはご愛嬌だが、それでもそのたびに、高田渡の歌を思い出す。</p>
<p>去年、ビート二クス（ＹＭＯとムーンライダースのメンバーのバンド）のライブを聞いたら、「あの日見た高田渡は遠い夕日の中」という歌詞の歌に出会った。</p>
<p>いまでも、いろんなところに高田渡の記憶は生きている。</p>
<p>それが、もっと一般化されれば、もっと世の中は、政治に対する意識や、お偉いさん方に対して本質を見て皮肉する精神が、磨かれるだろう。</p>
<p>僕はそう思う。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>幼保一体化について</title>
		<link>http://hattorihiroyuki.com/blog/?p=1044</link>
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		<pubDate>Sat, 07 Apr 2012 09:39:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[先日、「次回は議会について」と書きましたが、先に調べものがあったのでそちらを報告します。
ほかにも一つ、書きたいテーマがあるので、議会報告はその次になると思います。

※
今日は、幼保一体化についてちょっと書きます。
こ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先日、「次回は議会について」と書きましたが、先に調べものがあったのでそちらを報告します。</p>
<p>ほかにも一つ、書きたいテーマがあるので、議会報告はその次になると思います。</p>
<p><span id="more-1044"></span></p>
<p>※</p>
<p>今日は、幼保一体化についてちょっと書きます。</p>
<p>この問題は、幼稚園経営や保育士の経験がある、津島議員や杉本議員ならもっと詳しいかもしれません。</p>
<p>僕が拙い知識で書きますので、間違いがあればご指摘ください。</p>
<p>※</p>
<p>幼保一体化という動きがあります。</p>
<p>以前は幼保一元化と呼ばれていたのですが、要するに、幼稚園と保育園の機能を一つにすり合わせたいという政策のようです。</p>
<p>１９９６年ごろからちららと話題になりつつあったようですが、政府がきっちりとした制度化をしているわけではなく、「そういう動きがあるぞ」という、実態の不明確なものです。</p>
<p>知り合いの教師の方から、この件に関して「制度が不透明でよくわからない。調べてほしい」と言われて、教育委員会に問い合わせ、そのあと、近くの幼稚園に出向いて聞き込みのようなことをやってみました。</p>
<p>週明けの月曜日には、保育の方にも聞いてみるつもりです。</p>
<p>※</p>
<p>すると、</p>
<p>・待機児童の解消が目的背景である</p>
<p>・ただし、市によって待機児童の数は違いがあるので、あらゆる都市で幼保一体化を実現すればいいというものでもない</p>
<p>・国自体、まだ正式な制度として具体案を出しているとは言えず、実態が見えない</p>
<p>といったようなことが、おぼろげに見えてきました。</p>
<p>※</p>
<p>教育委員会の方の情報によると、守口市の待機児童の数は深刻なレベルではないようです。</p>
<p>とすると、幼稚園と保育園を一体化するというのは、どういう意味合いを持つのでしょうか。</p>
<p>僕は最初、この話を聞いたとき、</p>
<p>・幼稚園は教育を特色として経営しているので、一律に規定が画一化されると特色が消えてしまわないか</p>
<p>・親御さんの仕事時間の都合もあって、保育園と幼稚園では、保護者会の時間にも違いがある場合がある。画一化されたら、親の仕事状況次第で保護者会の時間に支障が出てこないか</p>
<p>・これは、個人商店をすべて国営化しろというようなもので、無理があるのではないのか</p>
<p>と言った疑問を感じていました。</p>
<p>※</p>
<p>しかし、実際に近所の幼稚園の校長先生に私見をうかがうと、また違った視点が見えてきました。</p>
<p>それは、幼稚園と保育園の指導要綱を併せ読めば、わかりやすいものでした。</p>
<p>・それぞれの要綱において、幼稚園においては、保育園的機能も持つことが推奨されつつあり、また逆に、保育園においては、幼稚園的機能を持つことが推奨されつつある</p>
<p>・これはつまり、幼稚園と保育園の教育内容のすり合わせである</p>
<p>・一般的に、幼稚園や保育園ごとに教育内容が違っていると、子供たちが小学生になった時に、個人ごとの教育レベルの違いが出てしまい、「どのレベルから授業を始めるか」の調整が難しくなる</p>
<p>・それを解消するためにも、幼稚園と保育園の間の教育内容の差は無い方が望ましい</p>
<p>※</p>
<p>そういうことを考えると、</p>
<p>・「どの幼稚園も保育園も画一的な基準に絶対しろ」というような強制力を持つことは望ましくない（学校ごとの特色をかき消してしまうので）</p>
<p>・しかし、各幼稚園・保育園間で教育内容の情報交換・すり合わせはある方が好ましい</p>
<p>と僕は感じます。</p>
<p>※</p>
<p>いずれにせよ、いまだ、はっきりとした指針が決まっている制度ではないようで、この問題に関しては、今後の国の動向を見守ることになりそうだ。</p>
<p>ただし、国がはっきりとした内容を提示した時には早急に、混乱を避けるためにも、行政が説明窓口を設置する必要はあるだろう。</p>
<p>※</p>
<p>こういった議論が頻繁になることによって、これまではやや薄かった、各学校機関間の合同での会合も増えているという噂も耳にした。</p>
<p>個人的には、幼稚園・保育園・小学校の各代表が、年何度か集まって、それぞれの教育状況を提示しあい、相談しあう場が、きっちりと規定されてもうけられている状態が維持されるのが、今後の教育の発展のためにも望ましいと思う。</p>
<p>似た業務を担う、違う機関間での意見交換というのは、重要かつ有意義だからである。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>歯車とスモークド・サーモン</title>
		<link>http://hattorihiroyuki.com/blog/?p=1039</link>
		<comments>http://hattorihiroyuki.com/blog/?p=1039#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 05 Apr 2012 15:54:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hattori</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://hattorihiroyuki.com/blog/?p=1039</guid>
		<description><![CDATA[民主党迷走してるなぁ、と新聞読みながら想いつつ。
こりゃ政権交代したの失敗だったかもなぁ。
これからまたどんどん「これがダメだったからつぎは新しいアレ」みたいなかんじで政権交代を繰り返す国になってしまうのだろうか？

５ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>民主党迷走してるなぁ、と新聞読みながら想いつつ。</p>
<p>こりゃ政権交代したの失敗だったかもなぁ。</p>
<p>これからまたどんどん「これがダメだったからつぎは新しいアレ」みたいなかんじで政権交代を繰り返す国になってしまうのだろうか？</p>
<p><span id="more-1039"></span></p>
<p>５５年体制が懐かしい……。</p>
<p>古き良き時代よ。</p>
<p>※</p>
<p>議会の話を書こうと思ったけど、仕事が終わってレコードを聴いてたら、そんな気がなくなってきた。</p>
<p>議会のことは次に書きます。</p>
<p>※</p>
<p>中学生ぐらいのころに買ってよく聴いた「６０年代名曲集」みたいなレコードが出てきて、聴いてるんだけど、本当に良い。</p>
<p>「あぁ、こんなの聴いたなぁ」「青春やなぁ」って感じでだいぶ気分がよくなってきた。</p>
<p>サイモン＆ガーファンクルの「アイ・アム・ア・ロック」、ザ・バーズの「ターン・ターン・ターン」、バリー・マクガイアの「明日なき世界」、ハプニングスの「シー・ユー・イン・セプテンバー」、ピーター・ポール・アンド・マリーの「パフ・ザ・マジック・ドラゴン」、ビー・ジーズの「マサチューセッツ」……。</p>
<p>いいなぁ。</p>
<p>そうだ、あのころ、『髪に花を刺してサンフランシスコへ行こう』な時代だったのだ（俺はリアルタイムじゃないけど、青春期にそういう曲ばかり聴いていたから、懐かしいのだ）。</p>
<p>ラジオからは反戦歌が流れ、若者がちゃんと体制に反抗していたのだ。</p>
<p>流行ものに飛びついていく時代ではなかったのだ。</p>
<p>いまでも、「明日なき世界」の日本語版の歌詞を僕はしっかりと思い出すことができる。</p>
<p>『鉄砲かついで</p>
<p>　いい気になって</p>
<p>　でも選挙権もまだ</p>
<p>　持たされちゃいねぇ』</p>
<p>最近は、鉄砲（喩えだよ）担がされておだてられていい気になって鼻の下を伸ばしちまってる単純馬鹿がどれだけ多いことか。</p>
<p>そしてそういうのを利用しようとする政治家がどれだけ多いことか。</p>
<p>ポストモダンになってくるとむしろ構造が単純になってくるということか。</p>
<p>やっぱもう一度西部劇をしっかりと見なきゃならねぇよなぁ、いまの人は。</p>
<p>いきがったら吊るされるってことを実感できてねぇんだ。</p>
<p>板一枚下は地獄よってことがわかんねぇんだ。</p>
<p>ジョニー・キャッシュが「銃を町に持っていくな」って歌った意味がわからねぇんだ。</p>
<p>※</p>
<p>でも、ピーター・ポール・マリーがずっと歳を取ってから安倍ちゃんの政権のころに「ｍｅｇｕｍｉ」っていうタイトルの拉致被害者についての歌を出したときには、なんだか違和感というか気持ち悪さを感じたなぁ。</p>
<p>「外国人のお前が、いったい俺たちの国の悲劇の何を知ってるんだよ」と怒鳴りたくなる気持ちというか。</p>
<p>こう、社会的トピックにのっかかって、よく知りもしないくせに正義感面をしてるように感じられてすごく腹が立ったんだよ。</p>
<p>むかしは、トピカルソングってのがあって社会的情勢を歌に乗せて歌う流れがあって、それはすごく良いことだと俺は思っていた。</p>
<p>でも、それって、「当事者が歌うからこそ、深いことが歌える」んだよね。</p>
<p>事情をよく知らない人が、他国のことにまで「かわいそう」みたいなかんじで首を突っ込んでくると、すごく偽善者っぽくて気持ちが悪い。</p>
<p>「お前は何を知ってるんだ？」って感じになるんだよね。</p>
<p>魂の叫びがないというか。</p>
<p>この「当事者じゃない人がのっかかって自分の人気取りのために偽善者ぶってる感じ」は、安倍政権そのものにも感じたし、最近の「絆」っていうことばにもすごく感じる。</p>
<p>ずいぶんとお坊ちゃん的な、きれいごとの、おためごかしの世の中になっちまったんだなぁって思うんだ。</p>
<p>だって、俺、安倍ちゃんが総理やってた頃、「この人、たぶん本気では拉致被害者のこと考えないよなぁ。単にそれにのかかって人気取りしてるだけでしょ。利用されてる拉致被害者のご家族が本当にかわいそうだよ」って思わずにはいられなかったんだ。</p>
<p>そういうのって、目や行動や言論をよく見たらわかるんだよ。</p>
<p>本気かただの人気取りかってさぁ。</p>
<p>そういう意味でよく観察したら、安倍ちゃんって世間知らずの大金持ちのお坊ちゃんが正義の味方ごっこをしてるようにしか見えなかったんだ。</p>
<p>俺は、もっと、命がけで、乾坤一擲で取り組むべきだ、と思っていたんだ。</p>
<p>そう感じていたら、事実、すぐに政権すら投げ出しちゃったんだよね。</p>
<p>本当に情けなかったよ。</p>
<p>「あーあ、やっぱ口先だけか」と思ったんだよね。</p>
<p>本当、拉致問題については、それこそ昔の三島由紀夫みたいな、自分の腹掻っ捌いてでも主張できるような、命がけで解決するだけの根性と信念のある人に取り組んでほしいものだよ。</p>
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